|
企業の社会的責任が問われるようになってから、その社会還元の一つとして「財団」を設立する企業が増えているが、その活動が必ずしも有意義に行われているとは限らない。「公益」に向かって理念と目的を事業化するためのプログラムの作成に欠けているからだ。
役所の数だけある「公益」 ??本誌でもかつて財団法人について調査したことがあるんです。といいますのは、相続税などの税金対策から財団を設立したり、財団そのものを売買する動きが目だってきたからなんですが、その時、驚いたのは約二万一千ほどあるといわれた公益法人のなかで、休眠状態の財団が非常に多かったのと、税制面で優遇措置をうけながら、本来の公益的な活動を何もしていない財団が目だったことなんです。それに主務官庁にいろいろ当たってみても「公益」というものの定義さえはっきりしていなかったことなんです。
林 確かに公益という概念にしてもはっきりしていませんね。財団法人というものは民法の第三十四条で定められているんですが、それを見ても「祭祀、宗教、慈善、学術、技芸其他公益ニ関スル社団又ハ財団ニシテ営利ヲ目的トセサルモノハ主務官庁ノ許可ヲ得テ之ヲ法人ト為スコトヲ得」とあるだけなんです。 これが財団における主務官庁のはじまりなんですが、つまり、公益とはなんだといっても、お役所に行かなければ分からないわけですよ。しかも、各省庁で言っていることは同じじゃないですからね。 アメリカのナンシー・ロンドンさんという女性が日本の公益活動を調査しにきたことがあるんですが、彼女が帰国して書いた本の結論を読んで吹き出したんですよ。「日本には公益というものに対する物差しが役所の担当官の数だけある」と書いてあったからなんです(笑)。
??主務官庁という制度は日本だけのものなんですか。
林 欧米ではありませんね。例えばイギリスではチャリティー・コミッションという委員会がありましてね、日本の原子力委員会みたいに非常に権威のある委員会なんですが、この委員会がこれはチャリティーだと認定すれば、税金などで優遇されるというわけです。 もちろん、どういうことがチャリティなのかという法律もちゃんとあるんです。チャリタブルアクトというんですが、この法律で細かく規定されているんです。しかも、この法律のそもそもの発端は一六〇二、三年頃、つまり日本で関ヶ原の合戦があった頃にできたといわれていますから、その歴史は古いんですよ。
??日本はよく財団後進国といわれるんですが、これは歴史的にもそういった土壌が育ってこなかったということなんでしょうか。
林 歴史をひもとくと、決して形の上では後進国ではないんですよ。比叡山や高野山では今の財団に相当するような活動をいろいろやっていましたし、アメリカのフォード財団やロックフェラー財団がスタートしたのと同じ時期に、日本でも三井、三菱といった財閥が名前こそ財団とはいっていませんが、中身はいまの財団と同じようなことをやっているんです。金額的にも、当時の日本としてはそんなに見劣りするような金額じゃなかったんですね。 ところが、戦後、猛烈なインフレがあったために資産が減価しちゃって、あまり活発な活動ができなくなっちゃったんですよ。いま活発に活動をしている財団のほとんどは、戦後新しくできた財団なんです。
日本の国益なんて考えるな ??欧米の財団というとすぐにフォード財団とかロックフェラー財団といったものを思い浮かべるのですが、欧米の財団と日本の財団の一番の違いはどういうところにあるんですか。
林 決定的に違うのは、欧米の名のある財団はみな明確な目的と哲学をもっていて、それと同時に、それを具体的な事業にするためのプログラムの専門家をちゃんと育ててきたということでしょうね。 財団活動にとって一番大事なのは、どういう援助活動をするのかを自ら調査し、問題を発掘して決めることですが、そのためにはどうしても強力なプログラム・スタッフが欠かせないんですよ。 財団というのは、簡単にいえば、いわゆる役所でもない企業でもない民間の非営利の社会貢献活動をする組織、団体ということになるんでしょうが、役所の延長、あるいは企業の延長ということで考えればすぐにいろいろ思い浮かぶものの、そうでない活動ということになると、具体的になにをしたらいいのか、役所も企業もよくわからないんですよ。 私が船舶振興会に来て一番印象的だったのは、財団の事務局というと、これまで見てきた経験からどうしても年輩の方が多いというのが実感だったんですが、ここは七十数名のスタッフの平均年齢が三十五歳と、非常に若いということでしたね。それとどうやって事業を具体化していくかというプログラム・スタッフが国際部門にしても国内部門にしても、非常にしっかりしている。
??政府や自治体が考える社会貢献と民間としての非営利活動、つまり財団のやる社会貢献とは基本的にやり方が違うというわけですか。
林 むしろ違ってしかるべきだと思いますね。どうしてかというと、政府が税金を使ってやる以上、どうしても全国民が対象になりますし、その場合、あまねく平等にということがどうしても前提になりますよね。 しかし、民間の財団があまねく平等にということでやったら、資金規模が違いますから、それこそ雀の涙みたいになって効果的に使えない。それよりも世の中にはいろんな問題があるんですから、ある部分に対して深く関わるというんですかね、それぞれの財団が決めた対象に対してきめ細かく、かつ深くやるというのが、民間の財団のやりかただと思うんです。それは認めてもらわなければいけない。 それともう一つは、民間ならではの反応の早さというものがありますね。阪神大震災のときでもそうでしたが、「本当の二ーズがあるのか見極めてから」という具合に、政府はどうしても反応が遅くなりがちですが、その点民間は失敗を恐れないで、すぐに立ち上がれますからね。 例えば、チェルノブイリの原発事故のときでも、船舶振興会ではいちはやく現地での援助やデータの収集の資金を出しましたし、エイズ問題でも取組みは一番最初でしたからね。これが政府となると、国と国の問題もありますし、そう簡単にはいきませんよ。 それと、今の世界情勢をみても、国という単位だけでは対応しきれない問題が沢山あるわけです。その中で、日本の政府はちっとも動いてくれないけれど、真っ先に飛んできてくれるのはいつも日本人の医者だ、看護婦さんだ、専門家だということになれば、世界の日本を見る目も違ってくるはずです。なにも自衛隊だけがPKOじゃないんですからね。 ところが、日本の財団は国際的なことはやりたがらないんです。私はトヨタ財団にいるときによく「日本の国益は考えるな。相手の国益を第一に考えよ」と言っていたんですが、これは相手の国益を第一に考えることが、日本の国益につながるという考えからなんです。ところが、日本の税制は国益にこだわりすぎていて、こういうことをしようとすると、税制上の特典がまったく得られないんで、こういった面では、まだまだ日本は財団後進国といってもいいでしょうね。 それと、湾岸戦争のときも日本の財団の方たちと話していて歯痒かったのは、「そのような問題は財団向きのテーマじゃない」といわれたことなんです。でも、世界に財団向きじゃないテーマなんて一つもないんですよ。対応の仕方が政府と違うだけなんですからね。
日本の財閥と財団活動 ??日本で財団というと、すぐに美術館や奨学金といったものを思い浮かべてしまうんですが、もともとキリスト教の影響が少ない日本人にはチャリティーという概念が欧米人にくらべて稀薄なんではないでしょうか。それが日本の財団活動にも影響を与えているような気もするんですが。
林 私はトヨタ財団で十三年間、専務理事をやったんですが、トヨタ財団がスタートする時に理事長の豊田英二さんから「自分は良く分からないから任せるよ」といわれたんで、とにかくフォード自動車の創業者であるヘンリー・フォードやアメリカの石油王といわれたロックフェラー、鉄鋼王と呼ばれたカーネギーなどの伝記を読んでみたんですよ。 その時に面白いことを発見したんです。つまり彼らは二つの顔をもっている。事業家としてやるときは本当に情け容赦がない、血も涙もないという感じさえするんです。ところが財団活動をする時は、うって変わって仏の顔になるんですね。いったいどっちが本当の顔なんだという感じを持ったんです。 三井や三菱といった財閥の本もいろいろ読んでみたんですが、もちろん事業の上で情け容赦のないという面もありますが、しかしフォードやロックフェラーに比べると、そんなに極端じゃないんです。つまり顔が二つじゃないんですね。
??農耕民族と狩猟民族の違いとでもいうんですか、欧米の事業家はやはり闘争的なんでしょうね。
林 ヒルツマイヤーさんというドイツ人の神父さんがおられるんですが、この方は南山大学の学長もされた方なんですが、その著書に明治時代に財閥を形成した一流のアントレプレナール(起業家)たちの精神構造を分析した『日本における企業家精神の成立』という本があるんです。 その中でヒルツマイヤーさんは、欧米の一流企業人と日本の企業人の間には著しい違いがある。それは日本人には初めから社会に報いるという気持ちが非常に旺盛なことだと書いているんです。 なぜそうなのかというと、財閥の創立者の多くが下級武士の出身であり、彼らは武士としての教育を受けたために、社会観念が旺盛だった。また、開国して欧米から新しい思想が入ってきたとき、そういうフィロソフィーをもっていた者のほうがそれを早く理解して取り入れることができたし、また巧みだったというわけです。 江戸時代の教育は武士と商人とは全く違ってたんですね。つまり藩校と寺子屋の違いで、寺子屋は読み書きソロバン、つまり実学が中心だったのに対して、藩校はいわゆる修身斉家治国平天下、忠君愛国だったんですね。 それがために事業をやっていても常に社会というものが頭の中にあって、儲けを取るべきか、社会への奉仕をとるべきかと選択を迫られたときには、欧米のアントレプルナールたちは躊躇なく儲けをとるのに、日本のアントレプルナールは迷うことなく社会への奉仕をとった、というんです。 そういう意味からいうと、日本が欧米に比べて財団活動が遅れたというのは、明治の財閥にすればあらためて財団なんて作らなくても、社会に対してすでに貢献しているという意識があったんでしょうし、財団を作ったとしても何をしたらいいかわからなかったんでしょうね。 ただ、私から言わせると、これは社会にというよりも国家にという感じなんです。明治人ですからね。
若い人たちに期待する ??ODA(政府開発援助)にしても金額的には世界のトップにありながら、無償の割合が少ないという批判がありましたし、最近の論調をみていても、結局、自分たちさえよければとか、犠牲はいやだいう意識が強すぎて、国際社会という視点から、世界に貢献していくという行動がとれないような気がするんです。
林 国家と社会は決してイコールじゃないと考え出したのは戦後になってからだと思いますね。国家というのはあくまでも社会の中の一つの構成要素にしかすぎないんです。とくに最近のようなボーダレスでグローバルな社会になると、なおさらなんですね。 そういう点から言うと、今の若い人たちには期待が持てますね。といいますのは、よく今の若い者には愛国心がないとか愛社精神がないとかいわれますが、ある特定のユニットだけに対するロイヤルティというのは、いい面もある反面、それがいきすぎると利己主義にもなりがちなわけです。維新戦争のときに日本にいたイギリス人の医師が「日本の兵隊は傷付いた味方は助けるのに、敵の負傷兵は見捨てていく。これは何ごとか。敵も味方もないじゃないか」と会津戦争を見て、その手記に書いているんですよ。 しかし、今の若い人たちはそういった特定のものに対するロイヤルティを持ちたがらないだけに、世界全体をグローバルに見て、フランクに考えることができるし、やりようによってはむしろ若い人のほうが社会を正しくみることができるかもしれないと思いますね。今回の阪神大震災でも若い人たちのボランティアが活躍していましたが、この身軽さがこれからの社会貢献には必要だと思うんですよ。私どもの日本船舶振興会でも、今年の新卒の採用に当たって、四、五名の採用枠に対して応募者が一千五百人もあったんですが、それだけに若い人たちの社会貢献への意識の高まりというものを感じましたね。 (聞き手・本誌 中原秀樹)
|
|
|
|