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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 胸が痛む?死を賭してもこのありさま  
コラム名: 自分の顔相手の顔 73  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/08/12  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   カンボジア情勢を新聞で読むにつけ、私は胸が痛む思いになる。
 私の周囲にはカンボジアに係わってカンボジアのために働いた日本人が何人もいる。昔、四号線と呼ばれた主要道路沿いの地点では、日本の大手ゼネコンで働く私の知人たちがダムを作っていたが、彼らはダムの完成も待たず、情勢の悪化のために撤退しなければならなかった。
 自衛隊のPKO部隊が駐屯していた時、私はタケオの基地を訪ねて、工兵部隊の話を聞いた。選挙がとどこおりなく行われるのを目的に彼らは道を作っていた。また、私のよく知っている青年の一人は、国際選挙監視員の一人として、中田厚仁さんが殺されたのと同じ時、カンボジアにいた。
 はっきり言うと彼らの人道的な行為はほとんどむだだったのだ。道路を作り、公正な選挙の下地を作っても、政府は民主化もしなかった。その結果は旧態依然である。設備の悪い環境の中で、苦労してカンボジアのためと思って尽くしても、その結果はこのありさまである。
 日本の新聞も、日本人も、いつも「これで平和が来る。人民の平等は守られる」などと書いたり信じたりする。しかしほとんど現実にそうなったことはない。
 「あなたの死をむだにしません」とか、「あなたの生涯の行動や善意の行為はむだにしません」とか、日本人は思う。しかし世の中は、その人が死をかけて守ろうとしたことさえ多くの場合無視される。
 原爆が落とされた後、日本人はヒロシマに碑を作り「過ちは繰り返しませぬから」と書いた。この文章については、おかしいという人もいた。アメリカが書いたのなら筋が通るが、アメリカが自己反省もしないのに、日本人が代わって誓うこともない、という論理である。しかしこれは「二度と人命を簡単に奪うような運命に、日本を導くことはしません」という国民挙げての決意を示すならいいわけだ。
 ただしこれもまともに考えるとおかしい。原爆の犠牲者は、実数では広島、長崎を合わせても五十万以下だろうし、その後に原爆のせいで亡くなった人を加えても、百万人には達しないだろう。しかし日本は戦後、人工妊娠中絶で、どう少なく見積もっても五千万人以上、闇を入れれば一億人に近い胎児の命を奪って来た。原爆より妊娠中絶の方が、数においても、また抗議もできない弱い命を親の都合で抹殺したという点でも、ずっと大々的に残酷な大量殺人を行ったのである。
 誰もがむだな生を生きることがある。人の死をむだにしないためには神の概念が要るが、今ここで信仰を論じるべきではないから、むしろ我々の行為の多くがむだであったことを骨身にしみて認め、将来どうしたらそのむだを防げるかを考えることの方が大切だ。人の行為や死がむだでなかった、などという言い方が、実は彼らの死をむだにするのである。
 



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