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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 情報?平等の国の深刻な悪循環  
コラム名: 自分の顔相手の顔 156  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/06/30  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   南アフリカ共和国に関する情報は、日本のマスコミも、そして外務省にもオピニオン・リーダーがいた時代もあって、私の印象では決して中立的ではなかった。アパルトヘイト(人種差別政策)が廃止された一九九一年以後に私は初めて南アに行き、さまざまな人種の人たちから偏りなく話を聞いた。政府が招んでくれたので、私は公正な機会を与えられたのである。そして私自身も有色人種として、今の南アのように仕事も勉学も遊びも居住の自由もすべて平等に与えられているなら、改めて私は住む所だけは同じ肌の色の人たちとの方がいい、と人種差別ではなく人種分離政策を支持したい気分になった。
 というのも、美学が違うのである。私の母は終戦後のお金も物もない貧乏な時代には、家の内外の掃除ばかりしていた、という話はここでも書いたと思う。つまりそれ以外に、生活が貧しい感じになるのを防ぐ方法がなかったのである。
 しかし南アでは、ブラックの人たちが住んでいる所は他の人種の居住区と比べて明らかにごみだらけで、花や植物が少ない。中にはすばらしい豪邸もあるのだから、経済力の問題だけではない。要するに(家の中は見たことがないが)外の清掃をしようという気があまりないのである。掃除だけしていて、実は貧乏だった母とは、生き方が違うのである。
 こういう違いは、どちらも自分のやり方の方が当然と思っているに違いないのだから、あまり深刻に考えずに、同じような文化に対する嗜好を持つ人が集まって暮らせばいいと私は思う。町の機能そのものに、基本的な差別はないのだから別れて住む自由もある。
 しかしことはそんなに呑気ではない。最近一人の白人の農場経営者が、六歳の黒人の娘を撃ち殺し、そのお守りをしていた十一歳の従姉に重傷を負わせた。理由は娘たちが彼の土地に立ち入ったからだ、と言うのであった。
 これだけ読むと何というひどい話だろうと思う。この男が、自分の畑に入る人たちに異常なほどの敵愾心を燃やしていたことは間違いないのである。
 その背景には、ネルソン・マンデラが一九九四年に初代の大統領になって以来、実に四百六十四人の(白人の)農場経営者が殺されている事実がある。だから人影を見たら襲撃だ、と思う農場経営者が出るようになったのだろう。白人の農場が襲われた回数は、一九九二年から昨年までに二千七百三十回にのぼるという。
 六歳と十一歳の娘たちが撃たれた直後に、今度は八十一歳の白人の農場経営者が、喉に肥料を詰められて殺された。ネルソン・マンデラは、少女たちの葬式には行ったが、白人の老農場経営者の葬式には出席しなかった。
 まさに悪循環というものである。やったからやり返す。襲うから銃を構える。どちらの側にも理由はあるのだ。南アの報道には、そのどちら側からも見た視線が要る。
 



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