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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 寄付に関する「迷信」  
コラム名: 昼寝するお化け 第110回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1996/07/12  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   新聞を読み損なう日もけっこうあるので、私の知識は切れ切れのことが多いのだが、今日六月二十四日までのところ、元従軍慰安婦への「償い金」を集めている「女性のためのアジア平和国民基金」の募金は順調に行っていず、その配布方法の合意も取り付けられていないままであるらしい。寄付は十億円を目標にしていたが、三億四千万円しか集まらなかった、というのが六月五日の朝日新聞の記事である。
 そもそもこのお金は純粋に民間の意のあるところで集めようということだったのだから、それに徹しなければいけないのに、募金運動の裏方や運営には政府が一枚噛んでいるらしいし、新聞が「政府が今年度予算に計上している六億三千万円の中から、一部を介護や住宅対策に対する給付として活用する方針」と報じているのは、何となく足りない分の約三分の二を補填した、という感じに読める。
 それは狡くはないのか。解説によるえと、「村山前政権が『賠償間題は解決済み。個人補償は行わない』との立場を維持しつつ」というのだから、あくまで政府と切り離すべきだろう。今度の寄付の運動は、任意という形で、実は慰安婦だった人たちにお金を出すことの是非を、国民に問う実質的な国民投票だった、と思う。それに対して国民はノーという意思表示をしたのだから、政府がなしくずしみたいに我々の税金六億三千万円を出すのは筋が通らない。
 いつも思うのは、寄付というとすぐ会社や労働組合を当てにするのはどうしてだろう、ということだ。寄付集めを少しでも実際にしたことのある人なら「金持ち、会社、組合、免税」がほとんど寄付集めの役に立たない四つの柱だ、ということくらい誰もが実感しているはずである。金持ちほど、人のためには金を出さない。会社は人間ではないから、心のこもらない横並びの拠金の義理を果たすだけだ。組合も命令で動くのだから個人の自発的な心ではないし、免税でトクになるならという計算をする人の金など、大きな力になるわけがない。殊にこの最後の、寄付の金額だけは税金から引くという特典があれば集まるだろうという、抜きがたい「迷信」もほんとうに困りものだ。寄付というものは損を承知でやるからできるものなのだ。
 言葉を変えていえば、ほんとうにお金を出してくれるのは、人の痛みを自分の苦しみとして考えられる慎ましい庶民だけである。
 分け方が大変だという話も聞いたが、私には少しもむずかしいとは思えない。集まっただけを、はっきりわかった相手に分けるのがどうしてむずかしいのだろう。しかし今度の「女性のためのアジア平和国民基金」のやり方はそうではない。初めから「恥ずかしくない額」を気にしすぎている。お祭りの寄付を集めに来た人に、「お隣と同じ額を出させていただきますが」というのと同じ心理である。
 朝日の記事によると、台湾の旧軍人に日本政府が支払った弔慰金が二百万円だったから、その程度の額をという意見があるそうだ。戦争中アメリカの日系人を収容所に入れたことに対するお詫びの金がやはりそれくらいだったとか、そういう一種の横並ぴ的保身の思想と見栄が自由な心の表現を妨げている。
 この寄付は政府主導のものではないのだから、額も台湾の旧軍人に対する政府の弔慰金ともクリントンのお詫ぴ金とも比べる必要がないのである。ベストを尽くしたらどんなささやかな金額でも仕方がない。
 このお金を受け取らないように働きかけている団体がある、とも聞いた。人は誰でも受け取る自由と受け取らない自由とがある。だからいやだという人は省いて、受け取ると言ってくれた人にだけ渡せばいいだろう。それでも意思が変わることもあるだろうから、一年だけ持って、その後は集めてその国の福祉に使えばいい。この場合、どういう分け方をしたって文句の出ないことはない。一部の人の非難と中傷に耐えることが、この組織の仕事である。でも受け取った人は受け取ることを望み、それがせめてものお役に立ったのだから、それでよかった、と私なら思うことができる。

 二百万円を夢に見る社会
 第二の問題は、そもそも誰に分けるのかということだ。これなど、もうこの問題に手をつける前から、素人にだってそのむずかしさがわかっていたことである。もちろんほんとうに被害を受けた女性もいる。しかし百万、二百万のお金は夢に見るほどの額だという社会はまだ多いから、「私も慰安婦だった」という詐欺も必ず出てくるだろう。それらをいったいどうして見分けるのか。それとも気がつかないふりをするのか、それこそが最初から問題だったはずだ。
 聞くところによると、各国政府に登録されている女性は、数百人単位では明らかになっているという。しかしそれ以外にもいるだろうし、登録された人でもことがことだけに、日本側には今のところ名前も明かされていないという。
 そこに二重の難しさが付きまとう。もちろん名前を公表することはない。しかし何らかの形で、その人がどこに住んでいる実在の人物であるかということくらいわかる方途が残されていなければ困る。
 実は「女性のためのアジア平和国民基金」から私の働いている日本財団にも寄付の要請があった。財団には特殊法人としての厳密な規則があるから、その決定に関して私は今までほとんど口を出さなくて済んでいるのだが、これが私が個人的にやっている小さな任意団体の救援組織でもたぶん寄付はできない。なぜなら、お金が誰の所に行ったのか(いざとなっても)突き止める方法がなく、その人が実在するかどうかさえわからないような対象に、私たちは決して大切な他人のお金を出すようなことはしないからだ。
 私は日本人が、不当な目に遭った人に何かをしたいと思わない国民ではない、と思っている。先に述べた私がやっている小さな任意団体の救援組織は、毎年個人から四千万前後の「税金のかけられたお金」を寄付されて、二十五年間世界の貧しい人たちに送り続けて来れたからである。
 朝日は「元慰安婦問題はじめ戦後補償問題に対する日本の国民の関心は決して高いとはいえない。これらの事情を考え合わせると、基金だけの努力ではやはり限界がある」と例によって例の如き人を非難するという形の人道主義を匂わせる。
 それならぱ朝日自身はどうなのか。慰安婦補償問題に一番力を入れているのは朝日だから、率先して一億円くらいは寄付して当然だろうと思っていたが、正式の問い合わせに対して、この問題で「寄付や支援活動をしたこともありません」「この種の団体に寄付することはまずありません」だそうである。
 



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