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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: いい時?病気をきっかけに助かった命  
コラム名: 自分の顔相手の顔 280  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/10/19  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私の一家は、どうも日本語の使い方が少しおかしいような気がするときがある。
 具体的な例を上げなければならないだろう。息子はもう中年男なのだが、先日私は彼に、一人の外国人のことを尋ねた。どういう人か知っておく方が、その人に関係のある仕事をお手伝いしやすいと思ったからである。
 「ああ、その人なら知ってるよ」
 と息子はさらりと言った。
 「○国人。××大学卒。専門は△△。
 大阪駅のプラットホームで僕に、『日本のキヨスクにはいいものを売ってますねえ』って言うような人」
 「何を売ってるって言うの?」
 「お酒。僕に買ってこい、って言うことなのよ。自分はあんまりお金持ってないから」
 「列車の中でお酒飲むのは幸せねえ」
 「とにかく、うっとうしくない人だよ」
 ほんの数十秒の間に並べたことは、すべて彼にとっては最高の褒め言葉なのである。
 夫は最近、ヘルペスにかかった。我が家で一番最初にヘルペスをやったのは息子で、高校生の時である。顔の半分が膿みくずれてお岩さんのようになった。
 なおりかけに、わざと繁華街を歩いてみたという。人がどういう目つきで見るかを体験する目的だった。
 息子のヘルペスは、私が彼の若白髪を一本引き抜いた時、異常に痛がったことに始まった。今度夫は、朝起きたら、「髪が寝違いをして痛い」と言う。私が「そんなことあるわけないじゃないの」と冷たくあしらっていると、夫は突然息子のことを思い出し「もしかするとヘルペスだ」と思ったのだと言う。
 数十年の間によく効く薬もできていて、夫は数日間家にいただけでどんどん快方に向かった。顔に病変さえ出なかった。
 その間に夫は息子に電話をかけ、
 「俺、ヘルペスになった」
 と言った。すると息子は、
 「大した病気じゃないよ。痛いだけだよ」
 と答え、それから、
 「親父さん、多分いい時に病気したんだよ。それ警告なのよ。少し休め、っていう。ここのところ働き過ぎてたでしょう」
 「先週、韓国で十三時間会議した」
 結果的に電話を切るまで、息子はお大事に、とも言わなかった。しかし多分、彼は彼流に父親を気づかったのである。息子の妻の方がずっと優しい性格だから、すぐ後で「お痛いんじゃないですか?」と心配して見舞いの電話をかけて来た。
 世間には確かに「いい時に病気した」と思われる場合がある。その時、その人が病気にかからずやり続けていたら、間もなく死んでいたかもしれないのだが、病気をきっかけに食生活のでたらめや、勤務時間以外にも無理して働いたことを思い出し、生活を改変するのである。病気をしなければ、こういう人は決して生活を改めないのである。
 



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