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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 問題の軽重?「慰安婦」と「日本海海賊」の割り振り  
コラム名: 自分の顔相手の顔 61  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/06/30  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   慰安婦の問題が出る度に、世論は対立し、個人は興奮し、教科書にこの問題を載せないのは、正義の無視、戦争の是認だ、などという大仰な話になる。一方で慰安婦を強制連行したという公式文書は一切ないのだから、誰かに妥協して認めるわけにはいかない、という論議も現れる。私のような者は、どうして戦後五十年も経ってから、当事者と人道主義者が急に活発にこのことを言うようになったのだろう、とその点さえよくわからない。
 すべて歴史というものは、日本という国家が始まってからの年数の中で、どれが重要かを割り振って記述するのが妥当だろう。
 日本の国家が、複数の資料の元に、歴史的にその存在の事実が客観的に証明可能になったのは、西暦六百六十三年の白村江の戦いあたりからだというから、日本の歴史は約一千三百三十年分くらいはかなりはっきりわかっているわけである。その中で、別に均等というわけではなく、近世、現代の記述が多くなるのは当然としても、戦争という混乱の中で、慰安婦の存在は、そんなに大きな問題ではないだろう。
 人の運命、命をないがしろにする、という点でだったら、いつも私が言うことだが、平和がうたい文句の戦後の世の中で、合法的中絶という形で命を奪われた胎児の数の方が、比較にならないほど大きい。大東亜戦争の戦死者は約三百万人だが、中絶の数はその三十倍以上、一億人はいるという人もいる。
 胎児は、生命の中で一番弱いのである。逃げることも、生きたいという意思を述べることもできない。抹殺されることに抗議することも、デモをすることもできない。声さえもあげられない弱い存在を、私たちは平気で殺して来たし、今でも当然のように抹殺しているのである。しかも抹殺が、今もなお女性の権利として当然でいいことであるかのように言われている。この残酷さと非人道性は、教科書にどれくらいの比率で取り上げられているのだろう。
 阪神・淡路大震災は、それを体験した人にとっては大きな大きな出来事だった。家族が崩壊してしまった人もいる。生涯の計画が水泡に帰した人もいる。しかしそれでもなお、震災は日本の歴史の中では、取り立てて大きな出来事ではない。それだから、不運な目に遇った人を放置していいということではない。関東大震災も阪神・淡路大震災も地震国日本の宿命につながる災害の一つなのだから、救済の方法はどれほど研究されてもしすぎるということはない。
 しかし長い歴史の中では、ことの軽重という感覚を失ったら終りだろう。慰安婦問題と、日本海海戦とどちらかが大きな歴史の事実かと言うと、明らかに日本海海戦である。
 今の日本の言論の中には、そんなことを言うと急に怒り出す人がいる。そういうヒステリックな空気に対しては、やはりきちんと対抗すべきだろう。
 



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