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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 文化の尺度?困ったコマーシャルの文言  
コラム名: 自分の顔相手の顔 181  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/10/12  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   人によってはテレビのコマーシャルをひどく嫌う人がいるらしいけれど、私はけっこう好きである。昔からもっとも嘘くさい夫婦像はテレビのコマーシャルに登場した。嘘が見えると、真実が重くすばらしく感じられる。
 コマーシャル、広報、パブリック・リレーションというものは、近年次第に重大さを増している。今は一応解体したようだけれど、動燃という会社が、常に失敗を隠そうとしてあそこは陰で何をやっているのかわからない所だ、という印象を与えてしまったのは、恐らく会社の中で、自然科学系の人々が絶対の優位な立場を占めていて、パブリック・リレーションだの広報だのというものは、文科系の誰かに適当にやらせておけばいいという、軽視があった結果だと思う。自然科学系の学問に秀でていても、パブリック・リレーションをやる能力が備わっているとは限らない。
 広報とかパブリック・リレーションとかいうものは謙虚で、かつ努力を惜しまず、繊細な神経を駆使して作らねばならない。相手にこちらのことを知って頂くのだから、瞬時に人の心を読む特殊な才能も要る。
 コマーシャルには教育的な意味もある。コマーシャルの時間は、トイレタイムと決めている人もいるらしいが、若い人たちはコマーシャルの文言で影響を受けるのである。
 お茶漬けの広告がその一つである。私はお茶漬けも大好きだし、その会社の製品も嫌いではない。しかしそのコマーシャルに出て来る若者がお茶漬けを食べる姿が画面に現れると、私はテレビを切りたくなる。「粗暴」「礼儀しらず」「無教養」の権化のような振る舞いだからである。一人で食べるのだから仕方がないといえばそれまでだが、動物のようにお茶漬けをかっ込む姿は侘しい。ものを放り投げるような仕草も一瞬あり、生活の余裕も感じられず、私はどうしてこういう貧困なコマーシャルを会社が許したのかほとほと理解に苦しむのである。
 食事というものは、その国、その人の文化を計る一つの尺度、表現である。お茶漬けや蕎麦は、音を立てて食べるもの、と日本では理解されているのだが、このコマーシャルの中の若者のような食べ方が外国でも許されると思ったら大きな間違いだ。それだけで彼は教養と分別ある人とは思われないだろう。その結果、対等に政治でも仕事でも相手にしてもらえなくなる。そしてコマーシャルでこういう態度を見慣れて育つ子どもたちは、この程度の行儀が、世間でも世界でも通るものだ、と誤解するのである。
 元が英語のものを、英語臭く発音するのはかえってきざったらしい、とよく言われるのだが、「シイシイ、レモン」というのも困ったコマーシャルだった。こういう発音を聞いて育つと、シとスィの音が外国語で区別できない子どもが育つ。「彼女、彼女、レモン」というコマーシャルはやはり教育的に害毒を流す。
 



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