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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 「汚食」の味  
コラム名: 私日記 連載12  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1997/06/13  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   五月十九日
 会議二つ。
 昼食を挟んで、七月初めリヨンで行われる日仏対話フォーラムの日本側の意見交換。
 夕方は厚生省の科学審議会。ここでも話題に出たのだが、最近とにかく会議を公開することが、「市民に対する情報公開」だという単純な考え方が流行っていて困る。
 私はいつも会議は私たちの仕事だから、仕事は人の注視の中ではしない、という言い方をしている。会議の内容を秘密にしろなどと言っているのではないのである。議事録も報告書も、委員の職業・肩書・経歴も何もかも全く隠す必要はない。しかし会議中は、少なくとも私は思考しているから、部外者にいられるのは気が散っていやだ。
 情報公開ということは、何でも作業中から見せるということでは全くない。整理してから見せるのである。整理したものが答えだからだ。
 五月二十日
 朝七時に家を出て(ということはいささか寝不足でも好きなことはやる、ということだが)、帝国ホテルで行われる笹川平和財団主催のイスラムに関する勉強会へ出る。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの、一神教の系譜を少しでも知ったことは、私の一生をどれだけ奥行き深いものにしてくれたかしれない。宗教は実におもしろいと思う。まだ中学生の孫が多分思いつきで「僕は宗教学をやるかもしれない」などと言うと、かなり嬉しく思ったりしている。私はユダヤ教とキリスト教は少し時間をかけて勉強したが、イスラムについては、わずかな接触による体験と、まだらな知識があるだけだから、こうして機会があれば早起きも辞さないカクゴなのである。
 今日の講義は慶応義塾大学の湯川武先生の「イスラムとの対話」。初歩的な知識に関して実に整理よく聞かせてくださる。日本財団の常務理事五人のうちの実に三人までが講義に出席している。一人は新聞記者出身。この方は人が語ったことは、少しメモを取ればほとんど正確に伝えられる、と言う。もう一人は霞が関出身。「いつもこんなに勉強家でいらっしゃるの?」と聞いたら(これは朝、早いことに関してである)「僕はいつも勉強家ですよ」という返事。
 どちらも私にとっては新鮮な驚きである。私はまずほとんど人の話を正確に記憶したり、手落ちなく全容を伝えたりできない。深く印象を持ったところを強烈に覚えるだけである。
 それから気がついてみると、私の親しい人の中には、勉強家もいなければ、勉強家をよしとする空気もなかった。私はいつも、自分が少しラクに生きるには、今この瞬間、どうしたらいいかばかりを敏感に考えて、それを家庭内でも容認されて来た。その瞬間にこそ人間が見えるという発想だった。だからいつも勉強家だった、という人に会うと少しびっくりしていた。しかし日本財団はいい人材を揃えていると思う。
 早稲田大学教授の吉村作治先生も来ておられた。帰りがけ小声で「イスラムの導師はイマームというのだと思ってたら、今日のお講義ではウラマーとおっしゃったんだけど、どう違うのかしら」と咳いたら、数時間後にファックスで丁寧な手書きのご返事が来た。こういう誠実さも私の中にはない。
「イマーム」はアラビア語で「規範」とか「指導」とかいう意味。普通「導師」と訳し、人望によって選ばれて礼拝などの指導的役割を果たす。しかし聖職者の資格はない(いらない)。
「ウラマー」はイスラムのことを学問的に研究している人全般を指す。語源的にはイルム(ウルム)=「知識を持つ」から来た。「イ」と「ウ」は弱母音でアラビア語ではしばしば両方発音されるという。以上、吉村教授の特別講義による知識を私一人占めにしてはいけない。
 それにしても帝国ホテルの宴会場の小さな部屋は、すべてこの手の朝食会形式の勉強会ばかり。関係のない会場まで梯子をしたくなる。
 五月二十二日
 ミラノとシンガポールと、それぞれから遊びに来た日本人の友人たちと、勝手気儘に食べる会。まず自由が丘のスーパーに行って、二人が勝手にこれが食べたい、あれがいい、という材料を買って来てうちで料理をして食べる会。
 いわゆる御馳走風のものは極めて少なく、二人が涙を流さんばかりなのは、知人が届けてくださった手作りの山椒の佃煮と、三国の揉みわかめ。それをササニシキと共に食べればそれで充分だと言う。
 この絶品の春の新わかめ二壜は、三国沖にロシアのタンカーのナホトカ号が漂着して重油が流れ出た時、日本財団からお見舞い金を三国町へ持参したことに対するお礼の手紙に添えられていたものだ。浜がきれいになって重油騒ぎも一応の終息宣言だという。
 ほんとうは財団に頂いたものは財団において来る習慣なのだが、私は揉みわかめに眼がないので、これだけはもらってきたのである。だからこれは汚職ならぬ「汚食」の品だと二人に言い聞かせて恩に着せたのだが、日本の味に夢中の二人の耳には、とうてい入ったとは思われない。
 



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