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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 夏休み?仕事に関係のない書物を読む  
コラム名: 自分の顔相手の顔 266  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/08/30  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   この夏休みのピークにテレビが「どこどこ料金所を先頭に五十三キロの渋滞です」などとニュースを流した後で、一分もしないうちに「では皆さん、お気をつけていい夏休みを!」などと言ったので、ほんとうにおかしくて笑ってしまった。渋滞でほとんど走らないと、腹を立てて追突する人もいるだろうから「お気をつけ」る必要はあるだろうが、こんな渋滞に巻き込まれていい夏休みになるはずなどはないと思うと、つい笑うのである。
 これは全く笑いごとではないのだが、八月は原爆や終戦の記念日もある。亡くなった方は戦争を恨んでおられただろうと、わざわざ書いた後で「どうぞ安らかにお眠りください」と付け加えられた文章を最近見た。
 恨んで亡くなったなら、英霊は決して安らかに眠ることはない。言葉というものはそうそう簡単に使うものではない。
 どこかの週刊誌が、世間のいい会社の中竪幹部らしい人たちに、夏休みをどう過ごすか、というアンケートに答えさせていた。
 旅行などの計画と共に、読書を挙げている人もいる。その多くが、経済戦略の本だったので私は少しびっくりした。その手の本は言わば多くの人にとって自分の仕事の分野なのだから、わざわざ夏休みに読むと宣言するものではないだろう。自分の仕事に関係のある書物は、常日頃読むものだと思う。
 私が働いている日本財団では、私がイヤな宿題を出した。夏休み中に、何でもいいから哲学の本を一冊読んで、四百字詰め原稿用紙二枚の感想を書いて出すことである。私がそれを斜め読みする。夏休みには直接必要でない知識で自分を太らせなければならない。
 人に言った以上、自分もしないといけないから、私はローマの哲学者・エピクテトスを読んだ。こういう時はむずかしそうに聞こえて、実は薄い本がいいのである。
 私の職場では、平等・公平を当然とし理想とすると同時に、不公平にも馴れる空気を積極的に作っている。なぜなら、人生には永遠に不平等な部分が残るから、公平・平等だけしか許せないようなヤワな人間になると、それだけでその人はだめになってしまうからだ。
 エピクテトスは次のように言っている。
 「あなたの上に起こることは、なにかしら意味があるのだ。もしもあなたが幸運な人になろうと決めたなら、あなたは幸運になれるのである。もしもあなたに見る目があるのなら、すべてのできことの中に、あなたを利するものを含んでいるのがわかる」
 エピクテトスは紀元五十五年頃にフリギアで奴隷として生まれた。しかし豊かな才能を見出されて、四十歳近くまでローマのムソニウス・ルフスの元で学んだ。ドミティアヌス帝に追放されてからはギリシャのニコポリスに住んだが、マルクス・アウレリウスも彼の弟子と言われる。
 エピクテトスは奴隷に生まれたからこそ、人生を発見したとも言えるだろう。
 



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