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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 会話?人生楽しくする一瞬の醍醐味  
コラム名: 自分の顔相手の顔 217  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/02/23  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   昨日、すばらしく存在感のあるマダムの魅力の話を書いたけれど、ヨーロッパやアメリカに住む私の日本人の女友達は、揃いも揃って会話が楽しいということが、一つの特徴だと感じるようになった。
 たとえば催しものの会場などで、案内所に人だかりがしているような場合、案内係が、誰からどの程度ていねいに相手になってくれるか、ということはこちらが受ける便利さの程度において重大な違いが出て来る。しかし私の友人がものを尋ねると、みんな魔法にかかったようにていねいに教えてくれる。
 まずきちんと「おはようございます」「今日は」に当たる挨拶をするし、質問に答えてもらった後には必ずていねいにお礼をいう。そうしてもらって当たり前なのではなく、こんなに親切にしてもらえたのは全くの幸運だったという感じでお礼を言うから、相手も気持ちのいい笑顔を返してくれる。
 そういう人の特徴は、誰とでもいい、この世の一瞬一瞬を、楽しくするように心がけているということである。
 考えてみれば、誰だってこの一瞬一瞬が楽しい方がいい。インインメツメツな会話をされたら、逃げ出したくなって当然だ。その反対に尊厳と礼儀にきちんと支えられた会話の相手とは、もう数分余計に付き合いたいと、反射的に思うものなのである。
 私のアメリカに住む友達はおっとりした人で、高速道路のお金を受け取る係の人とでも行き帰りにちょっとした会話を交わす。
 「風邪は治ったかね」
 とおじさんが彼女に言う。
 「なかなか治らなかったの。でもお隣の娘さんが来て、すばらしいお豆のスープを作ってくれたの。ルーマニアの人なんだけど。それを飲んだら、それをきっかけによくなったの」
 「豆はおいしいもんだよ。豆のスープはすばらしいもんだ」
 「お豆のスープは人の心を一番よく伝えるわ」
 「同感だね。女房もよく作ってくれたもんだ」
 「自分で作らなきゃだめよ。お豆なんか火にかけておけば誰だってすぐおいしいスープに作れるんだから」
 おじさんは片目をつぶって笑う。豆スープをよく作った女房は死んで今はいないという感じであった。
 これだけの会話に何十秒かかるのだろう。しかし後の車は、静かに待っている。焦って急いだって人生はそうは変わらないのだ、ということを知っているように待っている。
 会話は人生の大きな快楽だ。誰とでも十分以内に心のこもった会話を交わすようになるには、それなりの腰の坐り方も必要だ。語るべき自分の生涯を正視しない人も、他人の思惑を恐れて自分の内面を語る勇気を持たない人も、共に会話の醍醐味を知らないままに終わる。強盗に殺されたくなかったら??強盗とさえもできるかどうかは別にして??楽しく喋り続けることだ、と或る時、警察関係者に教えられた。
 



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