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一九九七年十月二十日 昨日は東京クワルテットのすばらしい演奏を聴いた後、すぐ列車で福島へ来た。日本財団が主催している「高齢者ケア国際シンポジウム」は今年テーマとして痴呆高齢者のケアを取り上げているので、その会場で出席者に挨拶をするためである。 私が最後までいっしょに住んでいた三人の親たち??私の母、夫の母と父??のうち二人は痴呆だったと思っておかしくなった。たとえ惚けても、これが母、これが義父と思っていたので、あまり痴呆ということが重圧になっていなかったような気がする。それに惚けるにせよ、個性は残っているし、義父などは最後まで付き添いの人に礼儀正しい紳士だった。三人の親たちは八十三、八十九、九十二歳で亡くなったのだから、痴呆があっても当然だろう。 朝、挨拶を済ませて、すぐ東京へ引き返す。福島駅に三十分ほど早く着けたので、ショッピングセンターで、列車内で食べる四百五十円のお弁当、お饅頭、漬物などを買って嬉しくなる。人間が小さい証拠。帰宅後すぐ執筆。 十月二十一日 八時に家を出る。十時から財団で執行理事会。比例代表制で参院選に出る人から、日本財団からも後援者の名前を名簿として出してほしい、という要請があったと言う話が出たので「それはいかなる人からのお頼みでもきっぱりお断りです。組織によって思想を縛るのは、選挙違反だと思います。もちろん個人はどのように政治に参加しようと、全く自由です」と答えておく。この手の投票干渉が、まだ堂々と許されているのは不思議である。 お昼に、日本音楽財団で行われている日本太鼓連盟発起人会で短いお礼の挨拶。太鼓は万国共通の言葉。発散的なだけでなく、少し闘争的なところが偽善的でなくていいという意味のことを言った。 午後、お客さま数組。 その後、ボランティア研究会。私はNP0というものに今のところ全く懐疑的。無利益と言いながら、損をしないように守ろうとしているのは、明らかな矛盾。いささかの親切と、いささかの利益と不純がこの世に存在し、結合して仕事をすることは大いに結構なのだが、それはボランティア活動ではない。ボランティア活動は、少しでも「損をしないよう」配慮し始めた瞬間から変質し、問題が続出するはずだ。 なぜなら、微かでもそこからビジネスか商売が始まると、すべてのことは法律でがんじがらめにしないとやっていけない。ビジネスにも、当然人助けの意図が強く、利益の薄い仕事があっていいのだが、それはあくまでボランティア活動とは別のものだ。 十月二十二日 今朝、感動的なことがあった。約一週間前に鉢に埋めたバオバブの種が発芽したのだ。鉢を日溜まりにおいて、昼間鉢温を三十度以上に保てば、約一週間で発芽する、と言われていた通りの結果。 朝七時頃、鉢土の中央部が少し盛り上がっているのが見えた。一時間後には黄色がかった縁の肉厚な葉が出た。秘書が十時に出勤して来た時までに八鉢中三鉢が発芽。 バオバブはアフリカなどに多いキワタ科の檀物で、幹の洞が人の住処になるほどの巨木。一本一本が、表情豊かで老人の風格を持つ。サン=テグジュペリの『星の王子さま』の住む星が、たった三本のバオバブで粉々に砕けそうになるほどだと、描かれている植物だ。芽は夕方までに三センチ伸びて肉厚の双葉が開いた。これを地面に植えて、幹の直径が三メートルとか五メートルの木になるまで、私が生きていることはないのだから、まさに滑稽な喜び。 十月二十三日 朝、八時家を出る。財団で各部の職員に会い、十時半につくば市に向かう。久しぶりのつくば市は、木々が大きくなってすっかり落ちついた町になったが、表通りからはミニ・コンビニ、焼肉屋、セコハンの自動車のディーラーが目立つだけでスーパーは一軒も見えないので心配になったが、ちゃんとあるのだそうだ。 仕事は国立教育会館で中堅教員研修講座の授業の一こまをすることである。研修所の建物は林の中にあってホテルのような立派なところ。 帰りに小学館に寄って、文庫の打ち合わせ。 十月二十四日 三戸浜で畑。一カ月もしないのに、ホウレンソウ、春菊、チンゲンサイ、レタスが立派に伸びて間引きが必要。 午後早々、東京のうちから電話。私たちがやっている海外邦人宣教者活動援助後援会に、匿名ではないが住所を明かさない女性から、短い手紙と共に、既に期限の来ている日本長期信用銀行の債券で、千六百万円が寄付として送られて来たと言う。私たちの組織が信じられないほどの不思議なお金に助けられて来たことは、今までにも度々あった。今日再びである。 ここのところ総会屋への献上金の話ばかり。今にほとんどの会社の幹部が逮捕され、刑務所の増築が必要になるだろう。財団へ電話をかけて「ウチで総会屋にお金を出している事実があったら、今日中に報告して下さい」と言ったら、「それはありません」とくすりと笑われてしまった。
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