|
去年の夏以来、私はジンマシンに取りつかれた。ひどい時もあり、少し軽快したように思われる時もあったが、ここ数日、鎮静化しているように思える。もっとも火山の噴火と同じで気は許せないが、火山の噴火と同じでいつかは止むものだということも言えそうだ。そのいつかがわからないのが人間なのである。 病院でも、ジンマシンの理由はわからない、という。私の場合も、食物との一切の関係はないような気がする。水を飲んだだけで出ることもあるのだ。そして或る日、理由なく治る、という。死ぬ病気ではないから誰も本気にしない。しかしあまり痒いと寝不足になって、もともと曲がっているコンジョウがなお曲がる、という自覚はある。別にジンマシンのせいにして許してください、とは言わなかったけれど、そう言いたい場面もいくつかあった。 しかし私はその間中、ほんとうに感謝していたのだ。何に感謝していたかと言うと、私が若いストリッパーでなかったことに対してである。或いは、美人で「背中のモデル」が職業でなかったことに対してである。掻きたい時にも我慢して掻かないくらい辛いことはないだろう。痒いところに手が届いて掻けるということは、一種の贅沢で、私はそれを得ていたのだから、ほんとうにすばらしい境遇だったのである。 一昨年脚を折った時にも、つくづくそう思った。右足の両側を十一針ずつも縫った。私はケロイド体質ではないから意外にきれいになおったが、「これでライン・ダンサーになる夢は失われました」などと言ってバカにされていた。怪我をしたら、のんきに怪我を直せばいい、ということを感謝する人は少ないらしいけれど、私はずっと感謝のしっぱなしだった。これがナチスの強制収容所だったら、私は脚を折って働けなくなったとたん、ガス室送りになる。 自分が掛からない病気のことを軽々しく言うと叱られそうで黙っていたが、私の親しい友だちが乳癌になった。乳房を取るということは決定的な悲しみで、死んでもいいから取りたくないという人の方が世間に多いように見えるが、彼女は果たして乳房など何のことか、と思ったという。私は一定の年になって乳房や子宮を取ることがそれほどひどいこととは、どうしても思えないのである。もう子供もいて、その子にお乳をやる必要もない。今さら乳房も子宮も、まあ、大したことはないのである。外から露に見えるところに大きな傷跡が見えるなら少し気にもなるだろうが、私と同じでストリッパーでない限り、服を着ていれば、誰にも特に見られるということではない。 胸の張り方で愛されていたわけではないのだ。そんなちっぽけなもので比べられないほど、人間の魅力は、性格や知性や不思議な存在感の方が大きくものを言う。
|
|
|
|