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マダガスカルの田舎で、土地のお母さんと子供のために働いておられる日本人のシスターから、一通の手紙が来た。シスター達はいつも穏やかで、私がかっかと怒るような時やことに対しても、辛抱強く穏やかな表現を崩さない方たちなのだが、今度ばかりは丁寧な手紙の文章の中に、ほんのわずかばかり怒りが匂っていた。 私たちが二十八年間続けて来た海外邦人宣教者活動援助後援会という組織は、日本中から個人的に貴重な献金を頂いて、それで海外でこうして自分の生活もなく厳しい生活環境の中で働いていてくださる日本人の神父や修道女の活動を助けているのだが、その一つに乳児用のミルクがない国に対して、日本製の粉ミルクを送るという仕事も入っている。 世界中には自国で乳児用の粉ミルクの生産ができない国が少なからずある。しかもそうした国では子だくさんの家庭が多いから、下に赤ちゃんが生まれると、まだ十カ月くらいの上の子はおっぱいをもらえなくなる。するとまだ三十代のお祖母さんが、トウモロコシの粉などを蕎麦がきのように溶いたものを離乳食として食べさせたりするのだが、それでは赤ちゃんの栄養はどんどん悪くなる。 生まれた時から既にお母さんのお乳が出ない子も可哀相だ。輸入ミルクはすばらしく高価だということだから、もちろん貧しい人は買えない。やたらに甘いだけのコンデンス・ミルクなるものや、他の安い粗雑な組成のミルクを買って与えていると、子供はどんどん痩せ細り、骨と皮のようになり、老人の顔になって来る。五カ月児で体重が五キロしかないなどという子はいくらでもいる。これがマラスマという栄養不良の状態である。 その時先進国型の、よく栄養分の計算されたミルクを与えると、赤ちゃんは、それこそ三十日とか四十日とかの間に、あっという間に標準体重に追いつく。私が「奇蹟のミルク」と呼ぶ所以である。 今回マダガスカルには、私たちは森永乳業を通じて約一・ニトンのミルクを送っていた。マダガスカルの日本大使館は、人道的な目的をよく理解してくださっており、奥地に住んでいるシスターのために首都でミルクの受け人になってくださっている。 ところが今回、今まで無税だった一・ニトンの粉ミルクに、マダガスカル政府は突然四千ドル(約四十六万円)という高額の関税を掛けて来た。私たちはミルクに対して百二十一万円を払っているだけである。税率は実に三十八パーセントに及ぶ。奢侈税ではないのだ。死にそうな子供の命を救うミルクなのである。シスターならずとも怒りを覚えるわけである。 もちろん貧乏なシスターたちにはそんなお金はない。私たちの組織が緊急にその税金を肩代わりしてくれますか、というSOSを求めて来たのが手紙の趣旨である。 どこの土地でも、見かけ上は同じような粉ミルクなるものが必ずあって、それは恐ろしく安いのだが、それを飲ませていても栄養的に完全でないから、痩せ細った子供の命を救うことはできない。だからどうしても日本から高くついてもミルクを送ることになる。私たちの場合は、長い年月、大洋漁業が往きの空船を利用してマダガスカルまでただでミルクを運んでくださっている。国民の知らないところで、人間的な温かい心は、企業のあちこちで動き続けていたのである。 しかし、一・ニトンに四十六万円も税金がかかるようなら、これからは土地のミルクを買います、とシスターは言う。 国家の損失に気付かぬ愚かな役人 これはあくまで私の邪推だが、こういう税金の掛け方は、税関の誰か「お偉いさん」の個人的な収入源として思いついたような気がしてならない。つまりその人の息子が結婚をすることになり、村の人たちに大盤振る舞いをするためには、ごちそう用の牛を何頭か買わなければならない、というようなことになると、突然こうした収入源を思いつくのではないかと思う。 私たちが送っていたミルクは、純粋に赤ちゃんを生かすためだった。マダガスカル国家はただでこれだけのミルクを儲けていたのである。それがこの愚かな課税処置で補給を断たれることになる。国家としては明らかな損である。それをわからない愚かな役人がいたのである。 もちろんこういう状況は決してマダガスカルだけの事情ではない。貧しい孤児たちに着せるために送られた古着が、先方に届かず、どこかその途中の権力者の手によって、古着市場に売られてしまうことは決して珍しくない。 しかしこういう愚かで怠け者の役人は、決してアフリカにだけいるのではないこともわかった。 先日来続いている野村サッチーさん騒動で、彼女の学歴が詐称ではないかという訴えが出された。検察庁が初め告訴を受理しなかった理由は、時効まで後二カ月半くらいしかないので、それではとうてい調べがつかないからだということだったという。それがその後の世論の突き上げで受理したというのだから、そのお粗末さは隠しようがなくなった。相手の思想や交遊関係を調べ上げるというなら、二カ月半ではできないかもしれない。しかし学歴だけなら、実に簡単なことだろう。 マスコミの世界だったら、時差を考慮しても、こんなことは四十八時間くらいで調べ上げて来い、という鬼編集長はよくいて、その下できりきり舞いさせられる哀れな編集者は、胃も絞られる思いで、無理難題に取り組むのである。こういう時の鬼編集長は締切だけを考えていて、「飯なんか食ってる時か。バカ」である。「調べが終わってから寝ろ」だから、原稿が上がるまではまともに家に帰って寝ることもできない。 はたして「週刊文春」があっという間に調べあげて来た。文藝春秋は、純粋の民間会社だから、どんな調査も自分の費用と頭脳とで調べねばならないが、官庁である検察庁なら、外交ルートを使っても、もっと簡単に調べられるはずである。二カ月では調査ができない、などと言った怠け著で無能な部署の言葉を鵜呑みにした検察庁は、そういう答えを出した責任者を、一度「週刊文春」の編集部に預けて、厳しく訓練してもらうほうがいいかもしれない。 私が日本財団に勤め始めた頃、わが財団にも少しこういう検察庁風の気風があった。私が「鬼編集長」ならぬ「鬼婆」だったから、最近のうちの職員たちは、人生には、時には「食べず寝ず」でやらねばならぬ厳しさがあることを知り、同時に自分の能力をすばらしく開発した。学歴詐称は公人にならない限り大したことではないのだろうが、それより困るのは、明らかに民間に劣るこうした検察庁の事務処理能力のほうだろう。
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