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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 一日一食  
コラム名: 昼寝するお化け 第155回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1998/05/29  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   五月六日、私は家に十三人の客を迎えた。私たちが二十六年間やっている海外邦人宣教者活動援助後援会という海外で働くカトリックの神父と修道女の仕事を支援するNG0の運営委員会を開いたのだが、私を入れて運営委員の七人と、海外から帰省中の七人のシスターたちが集まったのである。
 マダガスカルのシスター・遠藤、コートジボワール(旧象牙海岸)のシスター・勝、コンゴ民主共和国(旧ザイール)のシスター・前川。チャドからは三人、シスター・脇山とシスター・三宅とシスター・有薗。たった一人の男性はラオスで小学校を建ててくれている小出さん。
 まず小出さんが言った。「ラオスだってどこにあるか皆さんにわかっていない国ですけど、ここにおられるシスター方が働いておられるお国も、僕にはどこにあるかよくわかりませんなあ」
 そこで私はさっそく中に明かりのつく地球儀を持ってきた。実はいくら平たい地球を見ていても、距離が不正確にしか掴めないので、数年前ついに地球儀を買ったのである。
 結果的に、シスターたちに十分な話を聞く時間もなかったのだけれど、これだけの体験者が揃っていると、外務省など足下にも及ばないような現地の事情がわかっているから、お金の申請が来ている各国の状態についても、いいアドバイスがもらえる。
 たとえば井戸掘りだってラオスでは三十メートルで水が出るが、チャドでは百メートル手で掘ったというのだ。なにしろ九カ月か十カ月間は雨なしで人も植物も生きている国なのだ。
 総じてアジアの多くの土地は、貧困ではあるがどこででもバナナが生えるだけの降雨量があるから、飢えがない。私が二十一世紀は、アジアが世界の中で重要な役目を持つだろう、と思うのは、アジアが基本的に飢えないからである。しかしアフリカではバナナも生えない土地が普通だ。
 今度の申請の中にもあったのだが、私たちがよく出くわすのは、塀の問題である。学校を建てた。畑を買って実験的な農場を作りたい、というのでその費用を出す。すると必ずすぐ後から、塀を作りたいので、その費用も出してほしい、ということになる。
 塀ったって、日本の狭い住宅に塀を巡らすなら話は簡単だ。しかしアフリカの畑は、ただ同然。収量も少ないから大きな面積である。その周囲に塀を巡らすとなると、費用は決してばかにならない。
 何で畑に塀をしなきゃならないんだ、と初め私たちは意外だった。塀だけでなく夜警を置く話さえ出てくることもあった。
 すべては泥棒のためなのだ。世界の多くの土地では、盗難のために物事が発展せずに停滞している。それらの土地では、盗まれるから貧しくなるのか、貧しいから盗むのか、どちらが先か私にはわからない。
 そこで話は今度は給食のことになった。南米でもアフリカでも、子供がご飯を食べていないので、学校に来ないか、来ても空腹で勉強に集中できない、という話ばかりである。
 私たちはすでにボリビアでもハイチでも総食費を出していた。すると生徒も来るようになるし先生の集まりもいいのだそうだ。一食でもまともな食事が食べられる、というだけで、先生にとってもいい待遇だということになる。
 ところで私は、お腹を空かせているかわいそうな子供の存在を意識しながら申請額の厳しい検討をする。子供一人に一食食べさせるのに、いくらを計上しているか。ボリビアでは昼食でも一食五十セント、つまり約六十五円くらいで、ご飯と肉と野菜をつけていた。今度のこの国の申請では、朝飯を出すと言っているが、一食一ドル近くを計上しているのはなぜか。
 私はNG0の運営は、世界の物価を知ることから始まる、と思っている。工業用ミシン、セメント、井戸掘り一メートル当たりの値段、教師の給料なと、大体知っているべきことはたくさんある。

作っても根こそぎ盗られる
 私はチャドのシスターに聞く。
「お宅のお国では、もし生徒が朝飯を食べて来るとしたら何を食べています?」
「多分、前日に食べた蒸しパンのようなものの残りをお湯で溶かしたような程度のものですよ」
 それなら五円もかかっていないだろう。一食六十五円という計算は高すぎる、と私が冷たい意見を述べると、別のチャドのシスターが弁護をかって出た。
「でもこの国の人たちも一日に一食食べられればいい方でしょうから、このシスターは子供に朝飯の給食をするとおっしゃってますけど、実は朝昼兼用のしっかりした食事を、一度でいいから学校で食べさせたいんじゃないでしょうか」
 それに数百人分の給食のスタート時には、お釜、鍋、などかなりの設備費がいるから、それが入っているんじゃないでしょうか、と的を射た弁護も出る。これがありがたいのである。
 ボリビアの田舎では、私たちのお金で給食が始められるようになってから、生徒の成績がよくなったと言われた。蛋白質は脳の働きをよくするというのである。
 しかし途上国の物価は安いという固定観念も、また始終覆される。シスター・遠藤によると、マダガスカルでは卵は一個が百五十円である。だからお産後に一個の卵を産婦に食べさすことは、家族にとって大出費である。
「なぜ鶏を飼わないんです?」
 ラオスの住人は尋ねた。
「餌代が高くて誰も買えません」
 シスターの一人が答えた。
「でも東南アジアでは、鶏なんてそこらへんにほっぽらかしておいて勝手に餌見つけさせてるんですよ。誰も餌なんか買いません」
「でもその辺に放しておいたら、鶏は盗られてしまうんです」
「畑を作ればいいのに。豆とかトウモロコシとか」
「それも盗まれるんです。塀を作って、更にその上に場所によっては夜警も置かないとだめです。作っても根こそぎ盗られるから、誰も作る気を失って、何もしないでぼうっとしてるんです」
 貧困の抱える病状の輪はどこかで執拗に繁がっている。世界の貧困が抱える膨大な問題の前に、これでいいなどという解決法は全くないのだ。必ずそこには問題が残るか、新たな問題が生じる。
 日本財団は今年、「ブルイリ・ウルセール」という一種の肉が腐ってとれてしまう悲惨な感染による腫瘍の治療に、まず五十万ドルを投じることになった。私が会った若い患者の娘の乳房は腐ってなくなってしまっており、別の少年の脛からは肉が腐って落ちた後に骨が剥き出しになって見えていた。しかし自分の国の名誉を考えて、その病気が存在することさえ言いたがらない国もあるという。世界はまだそういう段階だ。
 



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