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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: お昼寝?快い団欒の向こうに見えたのは  
コラム名: 自分の顔相手の顔 442  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/06/19  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   六月十一日の正午近く、私は南アの首都、ヨハネスブルクの郊外にある、「聖フランシスコ・ケヤー・センター」を訪れた。ここには、母親をエイズで失い、自分もまたHIVプラスの孤児ばかりが二十人近く預けられていて、今、彼らはお昼寝の最中であった。

 十八歳の若い母をエイズで失った四歳の女の子は、母の死以来笑わなくなった。四歳でも自分の身に起った不幸の意味はわかるのだ。だからもっと小さい子供たちのお昼寝は、苛酷な現実を忘れるために必死で眠っているように私には感じられてならなかった。

 新生児から幼児までのケヤー棟を出ると、私たちは明かるい芝生を横切って、敷地の端っこにある建物の方に移動したのだが、その途中には、白いガーデン・チェアが置かれ、白人の男や肌の色の濃い若い娘をまじえた数人が、この国の乾いた快い冬の陽ざしを楽しむように坐っていた。彼らの団欒の場所から私たちが目ざしている建物が見えないのはほんとうに幸いなことであった。

 彼らはエイズの末期患者であった。そして私たちは霊安室の開所式に招かれたのである。式次第には、「新しい設備の正式開所を祝福して」と書いてある。カトリックでは一つの建物が完成すると、必らず司祭を招いて祝福を受けるのが常識であった。

 私が働いている「海外邦人宣教者活動援助後援会」というNGOが、二百十万円余を出してこの霊安室の建設を引き受けたのは、それが緊急に必要だったからであった。事実この霊安室は正式の開所を待つ前に、働き出していたのである。その数日前に、一日で三人が死んだ日もあったのである。先月は末期患者三十二人が死亡して、三十人が入所した。今は十五歳から四十五歳までの患者が二十八人いる。

 私は霊安室を見るまで、二百十万円程度でできる建物は単なる倉庫のようなものなのか、と思っていた。しかし開所式の時、外部にはめこまれた寄贈者の銘板をかけられたカーテンを引き、扉の鍵を開け、中の小さな祭壇の前の大ローソクに灯をともすと、そこで初めてお棺を入れる部屋の扉も開けられた。

 中には立派な冷蔵庫が設置されていた。お棺は全部で八個入るように棚が作られている。ほとんどの人がここでは葬式を出さず、埋葬のために家に持って帰るという。その迎えを待つ間に、季節によってはかなり暑くなるこの国では、やはりどうしても冷蔵庫が必要なのであった。そうでないと、生きている患者の隣のベッドに死者を寝かせておくことになるから、完成が急がれたのであった。
 



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