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香港の返還の時、私の周囲にも、あの記念すべき日に香港に行けた人がいた。何しろホテルは一年以上前からいっぱいだというし、私のように人込みが怖い性格では、とうてい割り込む勇気などない。しかし何となく少しばかり羨ましいような気分はあったので「後でいろいろ話してね」などと頼んでおいた。 私は旅行中だったので、テレビもあまり見なかったのだが、国歌と共に国旗が下げられる場面には感動した。今まで国歌が演奏されれば、国旗は必ず「上がる」ものだと思っていたから、堂々と下げる歴史に立ち会う英国に感動したのである。得て得をするばかりではない。放して楽になることもあるのだな、と思える年に自分がなっていたのもおもしろかった。 ところが、歴史に立ち会った人たちがほとんど感動的な話をしない、ホテルもけっこうあちこち空いていたというし、特に情熱をこめて話すべきこともなかった様子である。 同じ頃、中国にいた別の日本人もそれを裏書きするようなことを言う。その日に会った中国人には、お祝いの一つも言わなければいけないのかな、という気分でいると、向こうが全くその話に触れようともしないので、切り出しかねた、と言うのである。 日本人と日本のマスコミが、イギリスの植民地支配から逃れた香港の運命を、これこそ正義の勝利のように祝っていたのが、いささか子供臭く思えて来た。 先日、中国へ行って、私もまた子供臭い聞き方で「それで何ですか。今でも中国の方は社会主義や共産主義を信じていらっしゃるんですか?」などと聞いたものである。すると相手の中国人は、答えた。 「他に適当な思想がないからね。中国は大きいから、共産主義に代わる強力な思想がないと、束ねて行くのは大変なんですよ」 つまり社会主義・共産主義は、民衆をおさえる政治の手段として使っただけだ、というのである。昔、別の中国人は「共産主義というのは、一種の宗教ですよ」と言い、別の中国人は「日本こそ完全な社会主義だからね」と言い放ったものである。 中国は歴史始まって以来、ずっと封建主義と王朝を続けているだけで、一度も社会主義にも共産主義にもなったことはないのだ、とやっとこの頃、信じられるようになった。私は毛沢東の毛王朝の最後の頃の権力の偉大さを見て、肝をつぶしかけたことはあるのだが、要はどんな思想を使おうと中国の人民が幸せならいいと思う。そして今、中国の人民はおいしいものをいっぱい食べて勤勉に働き儲け、ちょっとした贅沢を楽しみ、いい時代を生きている。 しかし旧日本社会党や日本共産党や朝日新聞や岩波書店や進歩的文化人は、みんな思想としての中国共産主義を固く信じていた。皆肩透かしを食ったのだろうか。しかし何だかその話になると、香港返還のことのように喋る元気が失せて来るから妙なものである。
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