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何年ぶりかで、ロンドンに三日だけいることになった。昔のことを思い出して懐かしいというほど、私はこの国を知らない。しかし私が子供の頃、初めて接した外国人は、幼稚園の受け持ちの先生だった英国人の修道女だった。 私が初めてこの国を訪れたのは一九六二年、私が三十一歳の時のことで、まだ怖いもの知らずだったから、レンタカーを借りてインバネスという最北端の町まで夫と二人でドライヴをした。英国の夏は「夏なお寒い」という感じだった。八月なのに私はオーバーを着ていたが、そんな体験も生まれて初めてだった。 その途中、湖沼地帯で、私たちは車をフェリーで渡すことになった。冷たい雨の降りしきる日で、借りた車は当時ヒーターもなかったので、私はずっとオーバーを着たまま、それでもまだ足元が寒くてたまらなかった。今度知ったのだが、イギリスには今でも冷房の設備が全くない家が多いのだという。 フェリーが雨の中を向こう岸に着くまでほんの二十分かそこらの短い時間だったと思うが、その間、私たちは車の中にいることができたから何でもなかったが、私たちの車の窓のすぐ傍には、雨具を着た人たちが、濡れながらじっと立ち尽くしていた。フェリーには屋根などなく、つまり平底の船が十台前後の自動車を積んでゆっくり走っているだけであった。 濡れて立っている人々の中には、まだ八歳にもなっていないかと思われる少年もいた。父も母もいた。私は窓を開けて、よかったら子供さんだけでも、私たちの車に入れて座らせてあげたらどうですか、と言った。 するとその母らしい人が言った。 「ありがとう。でも私たちは子供にも雨の中を歩かせるために来ているのですから」 こういうものの考え方をする人が今の日本にはいなくなってしまった。教育とは、心身の鍛練だというと、だからスポーツクラブに通わせて、水泳教室にも出しています、と言う。心身の鍛練というのは、人生の苦しい状況に耐えることを言うのである。耐えた経験があると、人間は自信ができるから、そんなに簡単に「きれた」りはしなくなる。 ヨーロッパというところは、少し気を許せば、簡単に外敵が侵入して来る。だから「私は平和主義よ」などとピースサインをして笑っていられない。外敵に自分の利益を踏み荒らされるか、追い払って自分と家族と同胞の利益を守るか、どちらかしかない。紳士的闘いなどというものはないから、心身は常に鍛えておくほかはない。そうすれば簡単に戦端を開かなくて済む場合もあろう。 子供に要求されると、専用の部屋、空調設備、携帯電話、トレンディーな小物など、何一つ買うことを拒否することのできない親たちこそ最低の親なのである。英国には今でも子供を困苦に耐えさせる伝統はあるそうだ。
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