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時々、私は学者でなくてよかったかな、と思うことがある。もちろん、九十五パーセントは学問に向いていなかった自分の才能のなさに対する自己弁護なのだが、なまじっか学者だということになると、簡単にものを言ってはいけなくなるから、それが不自由そうだな、と思うのである。証明ができないといけないとか、一つの事象だけでものごとを決めるのは学問的態度ではない、と言われると、それは正しい態度だけにちょっとたじろぐ。 私など、直観、独断、偏見、勘で人生を生きていて、決してそれが正しい時ばかりではないのだが、案外学問的な考証なしでも当たる時もある。作家には、やはり少しは職業的な触覚が備わっていて、奇妙にものや人が見えることがあるのかもしれない。 たとえば一つの国が、先進国か中進国か途上国かを分けるには、何を鍵にしたらいいか、と思うのである。学者だったら、人口、地下資源、降雨量、海岸線の長さ、就学率、GNP、他、どんな要素があるのかわからないが、それを子細に検討して、それでもなお断定はできないなどと用心することになろう。 しかし先日東南アジアで、近年発展ぶりが話題になっている国を数カ国訪れて、或る国に国力があるかどうかを見きわめるのに、素人なら四つくらい簡単な鍵があるかな、と思った。 一つはホテルの浴室などの排水がどれだけ早く流れるかということである。それはしばしば、浴槽や洗面台の水がどれだけ完全に止水栓で止まるかということとも、抱き合わせになっているように思う。 第二には、町を歩いていて、歩道や路肩の整備がどのくらいできているかということがある。先日訪れた国の首都は、至る所に、人をつまずかせるような突起物が不規則に出っぱなしになっていた。ガスのメーター、何のためかよくわからない鉄の突起物、などが、至る所で歩道に突き出ているし、舗装の敷石も破れたり、溝がおかしなところにできていたり、階段の高さが一定でなかったりする。話しながら歩くどころか、真剣に足元を見て歩かなければつまずいてしまう。 第三がオフィスの機能の整備なのだが、コンピューター以前の問題である。遺失物係の部屋がしまっていたり、インフォメーションの机に誰もいなかったりする国は、明らかにまだ途上国である。そういうセクションだけは一応人並みに作りながらそれを機能させないで平気でいるのは、まだ国力がない証拠である。 第四はトイレがどれくらい清潔に整備されているか、ということだろう。トイレがどこも壊れていず、きれいに清掃されており、紙なども備えられているということは、一つの文化的な指数となりうる。 国の体力は一朝一夕にはつかない。教育も大きな力になる。この四つだけでアジアの国々を見て、新聞とは違う予測を立てるのも、ちょっとした素人の楽しみなのである。
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