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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ドライバー食堂の幸福  
コラム名: 昼寝するお化け 第138回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1997/09/12  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   十五年近く前にサハラ砂漢を、ラリーではなく、ゆっくり味わって縦断して以来、私は旅先で食事を作ることが趣味になった。昔から、豊潤の中でではなく、限られた状況の中で何ができるか、を考えるのが好きなたちだったから、これはただ自分と同行者の食事の支度をするという以上に、私の趣味になり得たのであろう。
 この夏、中国の貧困が残っている地帯を旅行することになった時、私は「炊事用具一式を持っていきましょうか?」と尋ねて「それは要らないと思います」とていねいに断られたのだった。
 行ってみて初めてわかった。政府の招待所と呼ばれる一種の宿泊設備は、確かにあまり豪華とはいえないが、とにかく一番活気に溢れているのは食堂なのである。人民は朝から、湯気の出ているおいしい食事をお腹いっぱい盛大に食べている。同じ社会主義を標榜し、実は昔ながらの君主国家的大権力を握る指導者に率いられている国でありながら、北朝鮮とどうしてこれほどの差がついたのだろうか、ということを日本人はよく考えてみるべきだろう。
 結局旅は四川省と雲南省を合わせて二千キロの距離になったのだが、昼は何度か通りがかりの道端の食堂で食べた。日本と同じで、昔はこの街道でずっとトラックを走らせていたという我々の車の運転手さんが、必ずおいしいうちを知っていたのである。
 そんな「ドライパー食堂」でも、たちどころに料理が七、八品は出て来て、それがすべておいしいのである。まあ私たちは外国人で、十人以上の人数で、少し懐にお金を持っているからそんなぜいたくをしたので、他の人たちはもっと質素な食べ方をしているわけだけれと、それでも平均的日本人の食生活より豊かなご飯を食べていると思う。
 そういうドライパー食堂の一軒に入った時のことであった。私が手を洗っていると、鶏の独特の鳴き声がした。ああ、やっているな、と私は感じた。鶏の料理を頼む、ということは、鶏を絞め殺すことから始まるのである。
 現場を見ていた人の話によると、初めに二羽の鶏が持って来られた。運転手さんがちょっと触ってみて「こっち」と選んだ。肉付きのいい方を取ったのである。それから店の人が喉を一気に切って血を出させた。その後で、私は現場に戻って来たのである。
 私は作家だから、その後を子細に見ることにした。その店の女性二人が鶏をお湯につけてから毛をむしる。すばらしい手早さである。主人が親羽の中の一本を抜き取って解体作業の現場に戻った。必ず何かに使うつもりだろうから、それを見ようと思っていると、根本の硬い部分で腸を割くためであった。開いた腸は水でていねいに中身を洗って、料理に使う。ちょうど蟹の爪が、蟹の身を出す時の最高の道具になるのと同じであった。同じ動物の一部がその動物を食べる時に極めて便利だということは、残酷だが、こういう設計が成されていることは偶然とは思えないのである。
 日本人の悪さは、鶏肉の料理を食べながら、この鶏はどういう経路を辿って鶏から肉になってここにあるのか、を一向に考えないところである。鶏肉というものは、木に生るか、工場で生産されるか、に近い感覚で受け止めている。
 それではいけないから、私は今勤めている日本財団で、若い職員たち全てに、必修として鶏を絞める訓練をしようと言ったことがある。この訓練は、うちのピルの屋上でするのだ。すると近隣のどこかのビルからそれを覗いていろ人が必ずいて、日本財団は人道的な仕事を売り物にしている癖に、昼の日中から、屋上で鶏を殺している、と悪評を立てるに決まっているのである。
 しかしこういうことは、ほんとうはすべての学校が必修でやるべきなのだ。どこの家庭でも必ず、一年に何度かは鶏、羊、或いは豚などを殺しているような社会なら、そんな必要はないのだが、日本のように家畜が生きている姿にもあまり触れる機会がなく、ただ食肉の状態でしか見ない社会の子供たちには、人間が生きるために行う行為のおぞましさを充分に見せることは義務なのである。その時初めて、やたらと人道主義、平和主義をふりかざすような虚偽的な人たちも減るだろう。

 トイレの匂いと渾然と混じり合い
 さて中国のトイレだが、これは表面的に言うと、どこでも全くひどいものであった。観光地でも、手洗いの水の出る所はめったにない。街道沿いに、ごくたまにある有料トイレ以外は、鼻をつくような臭気が流れて、汚物が堆積しているのが見えるような構造のものばかりである。
 私たちの同行者の一部は、そのドライパー食堂で鶏が料理されて来ると、そのトイレの匂いと、鶏料理のすぱらしい匂いとが、渾然と混じり合うような位置に置かれた戸外のテーブルで食べることになった。
 私のように戦前を知っている世代はそんなことにあまり驚かないのだが、水洗文化しか知らない人たちは、とうていそういう場所で食事を楽しむことはできない。
 しかし考えてみれば、人間の食事と排泄は、一続きのものだ。その流れを表すトイレの臭気と、料理の匂いが渾然とある中で食事をすることが、それほど異常であるわけがない。
 その食堂では自分の家でお酒も造っていた。純粋のアルコールのように見える透明なお酒で、同行者によるとすばらしいさわやかな味だという。密造かどうかわからないが店先に堂々とおいてあるし、庶民がこういうお酒を手軽に飲めるということも事実である。
 店の主人は、うちでは宿屋もやっているから、泊まって行ってくれ、と言う。泊まる予定はないのだが、見せてもらうことにして、足元の危ないような階段を上がって二階へ行くと、一つの部屋にベッドが三つだけ。子供一人の家族が泊まることを計算に入れているのだろうか。
 寝具も古めかしいが、不潔という感じはなく、ちゃんと洗ってあるように見える。宿賃は五元、一人か一部屋か聞き忘れたが、とにかく七十五円で、立派に雨露が凌げるのである。中二階にあるトイレの匂いが寝室にも流れ込んでいるから堪らない、という人もいたが、臭覚というものはすぐ疲労して感じなくなるものだから、私は大丈夫だと思う。
 とにかく中国中「いたるところ食あり」である。電気釜持参の自炊なんて考えただけで失礼というものだ。次に多いのがタイヤや自動車関係の修理屋さんである。それを見ているうちに、昔計画して立ち消えになっていた上海?パリの自動車旅行を再び計画しようということになった。
 



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