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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 緊急報告 IMF寒波のソウルで(上) 凍てつく“漢江の奇跡”  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1998/03/17  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  初め悠長、後ショック
 二月第一週の土、日曜を利用してソウル一泊のあわただしい旅をした。それにはちょっとわけがある。実は、昨年(一九九七年)の十一月末にも、仕事で韓国に三日間滞在した。すでに、韓国の経済混乱は始まっていた。金大中氏が大統領に選出される二十日前である。当時、仕事の相手方だったソウルの大方の財界人や学者たちは金泳三派の李会昌氏が当選すると思っていたし、経済の見通しについても「IMFから融資のメドがついたので致命的な事態には至らない」と意外にものんきだった。「IMFから金を借りると地獄だよ。韓国はOECD(経済開発協力機構)に加入し、先進国クラブ入りした。先進国でIMFから借金した例は、六〇年代央のポンド危機の英国だが、それは塗炭の苦しみだった。経済政策の自立性を奪われ、国民は耐乏生活を強いられる。利払いにも苦しんだ。先進国は借金を踏み倒せないからね」と警告したら半信半疑だった。米国でPhD(博士号)をとったソウルの有名大学の若い教授たちが、「ほう。そうだったんですか。当時の英国のいきさつについて英文の資料があったらほしい。勉強するから……」と言っていたのを覚えている。
 だが、そんな悠長な資料を送るまでもなく、韓国の経済危機は、あっという間に進展した。あれから二カ月、韓国ウォンと株価は急落、銀行の倒産、首切り、物価上昇、生産のダウン、そして日本型国家依存経済からアングロ・アメリカン型経営への全面転換が取り沙汰されるほどの構造変動が起こった。まさしくIMF大地震である。あちらでは「IMF寒波」とか「IMF占領」とか呼んでいる。そこで急遽、韓国行きを思いたった。なんといっても、「百聞は一見に如かず」と思ったからである。
 金浦国際空港からダウンタウンまで、こちらにも緊縮経済の消費者心理が伝染したのか、客待ちのタクシーを断りホテル巡回のバスに飛び乗った。料金は五千ウォン(四百円強)だ。空港の両替所で日本円を二万円ほどウォンに替えたら二十四万ウォンもくれた。前回よりも二〇%も多く、ちょっぴり金持ちになったような気になった。でも交通費をケチッて安いバスにした。空港からソウル市内のホテルまで通い慣れた道だが、橋上から見た漢江(ハンガン)は凍てついていた。空は薄暗い。いまにも雪が落ちそうだ。
 いつもは一時間以上もかかる交通渋滞だが、車の数が少ない。バブル経済の絶頂期だった昨年の春のざっと半分くらいだろう。大韓民国海外公報部のガイドブック『韓国のすべて』の「経済」の項目を開いて見る。
「ここ三十年余、めざましい発展を成し遂げた韓国経済は、“漢江の経済奇跡”といわれる高い評価を受けている。一九六二年に本格的な経済開発に乗り出して以来、韓国経済は世界でもまれな、高度成長のペースを維持してきた。その結果、世界でも、もっとも貧しかった農業国から新興工業国に浮上した。韓国が、このようにめざましい経済発展を実現させたのは、高い教育水準と勤勉かつ豊冨な労働力に頼って輸出に大きくウエートを置いた“開発戦略”の結果であった」とある。

アイ・アム・ファーザー
 ここまではまったくそのとおりである。朴正煕?全斗煥?盧泰愚と続いた軍人大統領の家父長的指導のもとで、国家と財閥が二人三脚を組み、六二年の一人当りGNP八十七ドルから、九七年には一万ドルにあと一歩と迫るまでに至ったのだ。だがこの国にとって右上がりの直線的成長はそこまでだった。
 二年前、ソウルの母なる川、漢江に“開発戦略”の一環として建設された十七本の橋の一つが、車のラッシュの重みに耐えられずに崩壊した。田舎だった漢江の南、漢南(ハンナム)も、オフィス・商業街と、中高級住宅街に変身したが、そこのデパートがある日突然、人の重みで陥落した。橋の崩落と相前後して起こった事故で、いずれも原因は手抜き工事。あれは、ツマ先立った経済成長、漢江の奇跡の頓座する予兆だったのではなかったか。
 そんな思いをめぐらすうちにバスは、ソウルの目抜き通りのホテルヘ。所要時間は三十五分、私のソウル訪問のなかで最速の記録である。不景気とガソリンの高騰のもたらした異常事態だ。
 韓国の学者の案内で書店に出かける。「IMFコーナー」なる売り場があると聞いたからだ。『IMFと経済改革』『IMF危機はこうして克服しよう』『IMF体制下の企業生存』『IMF時代の海外投資』『経済恐慌とIMF信託経済』etc。つい二カ月前は、IMFを危機回避の保釈金を貸してくれる親切なオジサンとみなしていたのに変わり身が速い。「救世主」転じて、「危機」「恐慌」「改革」「生存」「信託統治」「克服」などなど、中身が読めないのが残念だが、本の表題は“IMF寒波”の本質をしっかりとつかんでいる。この国の人々の頭の回転は相当に速いらしい。『IMF時代の小額株主代表訴訟』などといういささかこじつけ臭い便乗商法も含めて、二十四冊の“IMFもの”が並んでいた。
 その中に『IM Father』(私はおやじ)があった。IMFをもじった表題で、失業の父の手記だという。二〜三ページ、中身を翻訳してもらった。
「一九九七年十二月、わが社のすべての幹部は辞表の提出を求められた。そして私は……。でも俺はオヤジだ。もう家族と離れ単身赴任を強制される会社人間ではない。課長なんかどうでもいい、俺は家長だ。取り戻した父権の価値と責任に目覚め、俺は日雇いでも、かつぎ屋でもなんでもやって家族を養ってやる。夜はいつも家族とすごす。俺は絶対に家族を手放さない。会社なんかじゃない、家族こそが韓国の伝統と美徳の原点なのだ……」
 なかなか泣かせる内容ではないか。IMFの嵐が、この国の古い倫理規範儒教精神の復活を促すとは、当のIMFもよもや気がついてはいるまい。こんな話を現地の英字紙で読んだ。

妻を刺した男の苦悩
 四十九歳の男。二十八年間、会社の運転手をやっていた。人員整理で首になる。奥さんの兄の豆腐屋の手伝いに雇われる。ところが原料大豆や燃料費がウォンの急落で高騰、経営難に陥り、給料未払いで男は辞める。奥さんは行商に出る。ある夜、男は失業者仲間と大衆飲み屋でしたたか飲んだ。午前一時ごろ帰宅、妻は不在。頭に来た。やっと帰宅した妻に「どこをほっつき歩いている」と怒鳴った。「何を言うの。甲斐性なし。私は働いているんだ」。売り言葉に買い言葉、男はやにわに台所から包丁を持ち出し、妻を三回刺した。
 延世大学のマスコミ学部の教授と化学工業系の中堅財閥の会長に、この話を含めて、ソウルの世相について感想を求めた。二人ともアメリカの大学出である。
「会社の専属運転手の廃止は、IMF時代の経営の一種の流行だ。首切りはつらいけど背に腹は代えられない。運転手だけでなく、資金運用課、秘書課、総務課を廃止した。わが社はデュポンと提携しているが、米国の会社にはそんな無駄な部門はない。韓国企業は日本の会社組織を真似てここまで来たが、これからは日本式はやめる。総務課の仕事なんて、葬式の段取りぐらいのものだ。そんなときは、銀行の奴でも呼んで手伝わせるつもりだ。資金運用課なんてアマチュアばかり。外資系のプロの会社にまかせたほうがましだ」と会長氏。聞きしにまさるIMFリストラだ。
 アメリカの政治学博士号をもつマスコミ教授は、いくつかの興味深い街のこぼれ話をしてくれた。
 その一(レジャーについて)。四十歳〜五十歳の男が行くところ、それは映画館か山だ。かろうじて失業は免れても、韓国の中流サラリーマンの年収は、ボーナスゼロ、昇給なし、交際費カットで、実質的には半減した。気持ちが沈んでくる。家にいると妻にガミガミ言われる(韓国の主婦は気が強いので定評がある)。だから山登りをして浮世を忘れる。金もかからない。ソウルを見おろす北岳は、月曜から日曜まで登山者で列をなしている。それにひきかえゴルフ場は閑古鳥。ある朝教授が、平日ゴルフをやろうと思って、ソウルから車で五十分のコースに電話をしたら、「今日は、三組しか予約が入っていないので休業するので、悪しからず」との返事が返ってきたという。
 その二(休学者続出)。一学期三百万ウォンの授業料が払えず、休学届を出す大学生が増えている。三流大学には、昨年の年末から講師の給料未払いの学校もある。新学期、受験生の激減も予想される。
 その三(軍隊の人気回復)。全斗煥、盧泰愚両大統領の失脚で、軍隊は若者に嫌われていたが、今では志願者が殺到。半年待たないと入隊できない。
 その四(IMFセール)。アパレルやフアション物は超安値。デパートで五割、中小店では九割引きもあるという。
「本物の恐慌がやってくるのは失業者急増の三月以降。そうなったら何も売れない。だから、今のうちに在庫一掃をもくろんでいるのだ」。これもマスコミ教授の解説だ。凍てつく“漢江経済”、春の訪れはいつのことか。それはわからない。どこまで落ち込むのか、まだ底さえ見えていないのだ。

(お断り。韓国経済レポートのため「渡る世界」のカンボジア編(中)以降は、次々号から掲載します)
 



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