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旅に出ると、人間の性格によって用意するものが違う。私は自分勝手なのでおみやげなどなかなか気が廻らないが、私の働いている財団の若者たちの中にはアフリカなどに行くと、安いおもちゃを用意して行って、よく子供たちと遊んでやる人が多い。ルワンダではボールを贈った田舎の中学校とサッカーの試合をして、「全日本」はめちゃくちゃに負けてきた。 今回イスラエルの旅に、身障者の車椅子係の隊長として来たKさんは、おもちゃを用意するタイプではない。その代わり財団の名前入りの粘着テープをいつも携行して備えている。子供たちと遊ぶ時に、何も種がなくなると、セーターの胸の所にこのテープを貼ってやる。子供たちは大喜びで、靴磨きの少年は自分の商売道具にも貼ってくれ、と言う。 やれやれ、と私は思う。日本財団は評判の悪い時もあったのだから、これでまた、あの財団はイスラエルの貧しい靴磨きの少年たちのシンジケートからも巻き上げているのか、と誤解されるんじゃないか、と思うとおかしくてならない。 そのKさんが、イスラエルで眼鏡のつるの鋲(びょう)をなくした。眼鏡屋へ行くと、美人のお嬢さんがすぐ新しい鋲を入れてくれた。お代はいらない、と言う。後で聞くと、イスラエルではつるを留める鋲の修理はただなのだそうだ。しかし感激したKさんは、ただでは悪いので眼鏡を首からかけるヒモを買うことにした。すると店員のお嬢さんは、そのヒモもただで差し上げます、と言い、「イスラエルにようこそ」とにっこりした。 Kさんはその時、こんなに親切にしてもらってイスラエルに借りができた、と感じた。借りは早く返さなければならないなあ、と思って歩いていると、通りの向こうからおばあさんが松葉杖をついて道を渡ってきた。ところがKさんの見ている前で、杖の先のゴムのカバーが抜けて、ころころ通りの向こうまで転っていってしまった。 Kさんは急いでそれを拾いに行った。受けた親切の借りを一刻も早く返そうと思っていたところだから、実に自然な行動だった。むしろ、いい機会がこんなにも早くやってきたのである。 無事に拾ってきたゴムのカバーをはめてあげようとすると、それは風化してこちこちになっており、はめてもすぐ抜けることは眼に見えていた。Kさんは早速財団の粘着テープでおばあさんの松葉杖の先のゴムのカバーをしっかりと巻いてあげた。 靴磨きの子供のシンジケートの次に、今度は松葉杖の身障者の集まりに手を貸したことになるか、と私は首をすくめた。しかしとにかく人間は持っているものでできることを示すべきだ。粘着テープしかなかったら粘着テープで、数学の才能があるなら数学で、頭は悪いけれど体力があるなら体力で、社会に尽くせる。それが一番楽しくて自然でいいのである。
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