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マラッカ海峡は、交通の要衝。長さ千キロに及ぶこの海峡は、古くからヨーロッパとアジアとの連結点となってきた。 大航海時代、ヨーロッパの文化は優れた航海術で、その勢力を拡大した。アジア地域へもマラッカ海峡を通過し、津波のように押し寄せた。南蛮貿易・キリスト教の伝来など日本の歴史に多大な影響を与え、また、フィリピンをはじめ東南アジア諸国の歴史を大きく転換させた。 現在、マラッカ海峡は、我々日本人の生活を支えるオイルルートであり、日本の生命線とも言われている。 一九九九年十二月、マラッカ海峡の中ほどベンカリス沖に新しい浮体式灯標が燈を点し始めた。浮体式灯標とは、光や電波で航行船に安全な道を教える海に浮かぶ道しるべ。 灯標は、海上十四メートルほどの高さである。間近で見ると、大きなやぐらの上に円筒形の塔があり、登るのが恐くなるほどの高さであるが、海峡を通航する船舶からはまるでマッチ榛の先ほどにしか見えない。しかし、この灯標から発せられる強い光は、年間四万隻を超える船舶を、正しい航路へと導いていくのである。 このベンカリス浮体式灯標は一九九八年十二月、マラッカ海峡の新分離通航方式が制定された際、IMO(国際海事機関)の勧告により敷設されることとなった。インドネシアの協力要請により、日本財団がマラッカ海峡協議会を通じて設置したものである。マラッカ海峡において、日本財団の支援により設置された航路標識は、四十五基にのぼる。 マラッカ海峡協議会では年二回一に分けて担当者が現地に赴き、航路標識の点検と補修を行っている。 沿岸国の持つ設標船と呼ばれる航路標識の設置などを行う作業船(六百トン程度)に乗り、各国の担当者に作業を教えながら、海上や沿岸に点在する灯台や灯標を回るのである。 インドネシアの設標船「パリ号」は、日本のODAにより造られ、マレーシアの「ペドマン号」は日本財団により贈られた船である。共に二十年を超える船齢であるが、現在も海峡で活躍をしている。 作業はひとつひとつの標識を巡回し、設置位置を確認し、ブイは船上に引き上げ、付着しているカキ殻などを落とし、ペンキを塗り替える。灯標は、光度を点検し、レンズを磨き、電球の取リ替えなどを行う。熱帯の炎天下、日陰などない海上での作業は想像を絶するものがある。 沿岸国の海事関係者のマラッカ海峡協議会スタッフに対する信頼は絶大なものがある。各国の要望を聞きながら、国際規準に基づき、その地に最も適した航路標識を設置し、メンテナンスをこと細かに指導する。沿岸国のクルーとともにひと月近い航海を共に過ごし、汗を流す。与えるだけの援助を超えた、共に力を合わせ海峡の安全を守る国際協力が、マラッカ海峡で行われている。 最近、海峡内で灯浮標が船舶に引っかけられ、流される事故が多発している。事故を起こした船舶が通報してくれればよいが、多くの場合、ひき逃げされてしまう。灯標の異常は航行する船舶に危険をもたらす。ブイを入れては、壊される堂々巡りである。海峡の安全を守るためには、利用者側の協力も不可欠である。 現在、沿岸国以外でマラッカ海峡の航行安全を支援しているのは日本だけであり、他の利用国も相応の協力をすべきとの声が沿岸国から強く発せられている。 また、海峡内での海賊の横行に対する警戒など、海峡の安全確保に関する新しい問題が課せられてきた。 マラッカ海峡の安全を守る新たな協力の枠組みを考える時期が来ているのではないだろうか。
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