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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 海峡一千キロの安全  
コラム名: 昼寝するお化け 第172回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1999/02/12  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   去年のことである。私はシンガポールの町の交差点に立っていて、いつものように目の前をイギリス風の二階建ての路線バスが走って行くのを見ていた。
 シンガポールのパスの広告はダイナミックなものである。一階から二階までぶっ通しで最後部の窓もつぶしてデザインが展開している。最もこれは外から見たところで、バスは次はどこどこに停車いたします、などと放送はしないから、客は町の様子を眼で見て降車合図のボタンを押さなければならない。従ってべっとり張られたように見える広告にも細かい穴が開いていて、中からは外が十分に見えるようになっている。
 バスは見慣れているはずなのに、その日に限って私は急に一つの考えに取りつかれた。「そうだ、あのバスの広告を買おう!」ということであった。
 私の働いている日本財団は、もうこれで三十年近く、マラッカ・シンガポール海峡一千キロの船の航行の安金のために、灯台や浮標などを設置する仕事を続けている。そのために財団は、税金による日本国家のお金ではなく、競艇の売上から受けたお金から、既に百億円近くをこの海峡を整備し、安全を保つ仕事に使って来た。
 現在、日本に輸入される原油約二億三千万トンのうちの八十パーセント、鉄鉱石一億二千万トンの約四十パーセントがこの海峡を通る。それにソバ粉だってもう信州だけじゃなくて、アフリカからだって運ばれて来る時代である。この海峡の安全は、日本だけでなくマレー半島の東にある太平洋に面した多くの国々すべてにとって大切なのである。
 もしマラッカ・シンガポール海峡に海賊が出現したり、狭い海峡の一部に衝突事故が起こって通過が不可能にでもなれば、日本の大型タンカーはロンボック海峡を廻ることになり、行程は三日伸びる。それによるタンカー一隻あたりの損失は約三千万円に上るから、引いてはそれが私たちの消費物価に跳ね返る。
 作業は三十年前、まず測量をし海図を作ることから始った。今もこの暑くて狭い海域は、絶えず大型船舶がぶつけては壊して行く航路標識の補修をしているマレーシアとインドネシアの人たちのおかげで、航路の安全が保たれている。
 私は奥ゆかしさとは縁もない性格だが、それでも年取った日本人として羽織の裏のおしゃれを知っていた。昔の日本人は、羽織は地味な無地でも、脱いだ時だけに見える裏地に凝ったものであった。或いは私はキリスト教徒でもあるから「右の手のすることを左の手に知らせてはならない」(マタイによる福音書六・三)という美学も好きであった。
 多くを語るということは浅ましい。しかし皆が、この海峡の安全のために苦労してくれているということは知らせるべきではないか。そのためにバスの広告を買うのだ!
 パスの広告は、ビスケットとか電気製品とか、電話会社とか、とにかく営利事業ばかりである。
 私は現地の関係者にそのような広告が土地の人々に与える心理的影響も調べてもらった。決して反感はないだろう、というのが現場の意見だった。「日本財団は海峡の保全に三十年以上働いています」という意味の言葉を書くのだが、使用する言葉は最初から決まっていた。片側に英語、反対側に中国語、後部にマレー語とタミール語。これらはこれらの言葉を理解する人々の人口比に基づいている。
 バックの写真は、すばらしい海峡の光景そのものをデザインに使ったので、パスのお腹が海を運んでいるように見える。
 
シンガポールの記者に渡した皇后陛下のご著書
 実は私にはもう少し別の思惑もあった。毎年、八月十五日になると「日本人が戦争中、中国人を虐殺した」という内容の記事が必ずシンガポールでも報道される。感情的歴史が五十年以上も前で止まってしまっている感じである。
 日本財団が海峡の保全にお金を出していますと言ったって、世間の人は皆私と同じように正確にものを覚えはしないから、たぶん結果としてうろ覚えにするだろう。どこだか忘れたけど、要するに「日本」が何か働いているらしいよ、ということになる。それが私の狙いであった。
 日本財団の名前などどうでもいい。「タナメラの海岸で中国人を殺して埋めた」以外の現代史を、シンガポール市民に知ってもらえれば、それで十分なのである。
 一月五日に私はシンガポールで新聞記者会見をした。日本のメディアもほとんど全員が集まってくれたが、シンガポールの新聞も日本語の勉強をしているという感じのいい青年を含む優秀な記者を数人送ってくれた。
 その時私はシンガポールの記者たちに、皇后陛下の『橋をかける』という最近のご著書を渡した。あなた方は日本人が、どういうことを考えているか、普段真剣に知る機関もおありにならないでしょうから、このご本から、戦争中の少女、それから平和を願いとして生きる皇后におなりになった方の内心を、一人の日本人の心情の典型として理解なされるでしょうと言ったのである。皇后陛下のご本は、日本語と英語と両方で書かれているので、記者たちは誰でも理解することができる。こんなに日本理解に使わせて頂ける本はないと思うのである。
 私自身も本当は作家です、などと自己紹介したのに、一体何を書いている作家なんだと言われるのも困るので、たまたま年末に台湾で中国語に翻訳された『戒老録』という本を渡して「古い中国の字体は読めます?」と聞いたら、足の長い中国系の現代っ子記者は「大体」と心もとなげに笑っていた。
 前にも書いたことがあると思うのだが、私は日本人の政治家でも政府高官でもないから、日本を代表して謝る立場にないし、また私はカトリックだから、自分の犯さなかった罪を謝罪することはしない。自分の犯さなかった罪を謝罪することができるなら、自分の犯した罪を他人に謝らせることもできることになってしまう。
 しかし過去の日本人が他国の人に過酷な運命を与えたなら、私たちの世代は、それを上回る幸福な記憶を贈ることに地道な努力をして行くことが必要だ、と私は思っている。ただこうした事実を、反感を持たれずに伝えるには、慎重さがいる。
 今この二階建てのバスは、日本からの観光客も多いオーチャード・ロードとジュロン行きに一台ずつ走っている。南北の銀座通りと、東西の幹線に一台ずつ走っているわけである。
 日本からの若い人たちは、ブランドものを買うことにだけ夢中にならず、このバスを見たら、暑い海面でべこべこにつぶされた浮標を補修しつづけている人たちの働きのことも一瞬でいいから考えてほしいと思う。
 



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