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私にも人並みに、上品でいい人と思われたい気持ちがないではないのだが、私はこれで三十年近く泥棒の見張り番を続けて来た、と思うことがある。 二十八年前から、私は小さなNGOで働くことになった。身知らぬ方からも受けたお金を、海外で働く日本人の修道女のために送る仕事である。さらに四年半前からは、日本財団という財団で働くようになった。これも国内外の事業にお金を出す仕事である。 いつのまにか私は、お金が正しく使われているかどうかを確かめるために、相手がどう思おうと(できるだけの礼儀は失わないことを考えつつ)相手はお金を盗むものだ、という先入観の下に調査を続ける癖がついてしまった。 私のような素人さえしていることを、国家がしないのだ。まず三月四日付けの朝日新聞では、日本の円借款で建てられた北京国際空港の株式が「香港市場で公開され、三五%が『外資』の手に渡っていたのに日本側はそれを知らず、「中国財務省は『我々も株式上場を空港側から知らされていなかった。連絡できず、遺憾だ』と陳謝」したという記事を掲載した。 「円借款は相手国政府が対象で基本的に民間企業には貸し付けず、事業内容の大きな変更は、前もって日本と協議する契約」であるにもかかわらず、こういう事件が起きたのである。 中国政府の財務省が、北京国際空港の株式公開を「知らなかった」わけはない。これによって得た利益は、ルートはいろいろ取り繕ってはあるだろうが、しかるべく彼の国の誰かの懐を肥やすために使われたとしか思えない。 この問題は、陳謝されるより、実質的に補填してもらわねばならない。どういう手段が有効かわからないが、この問題は日本政府と現地大使館の甘さと事後管理のいい加減さに責任があり、このまま放置すると国家的な詐欺が成り立ちうる可能性をはらんでいる。金を出した方が、事業の経過を知りえないような対象は、国家であれ、国連であれ、金を出すべきではないのである。 東京新聞では同じ日にカンボジアでも問題が起きたことを報道している。「日本や欧米から援助を受けて地雷撤去作業を行っているカンボジアの政府機関、カンボジア地雷対策センター(CMAC)をめぐって、資金流用やうその撤去報告などの疑惑が相次ぎ、援助国が援助を凍結したり減らす動きを強めている。このためCMACは資金不足に陥り活動を大幅に縞小。最終的には活動停止に追い込まれる可能性もある」 在カンボジア日本大使館は「CMACには改善状況を見ながら少しずつ拠出してきた。外国援助金は別会計で監査もあるので、不正に流出されたことはないはず」とコメントしている。本当にこんな甘い観念が、各国大使館で通用しているのだろうか。紙の上での数字を合わせるくらい、算数さえできれば必ずできる。しかし本当の監査は、暑さ寒さも不便もものともせず、知力を働かせ、足で歩いて、何度も何度も相手のみならず周辺も調べて行くことなのである。 世界中が、金に群がるハエなのだ。むしろ、金が正しく使われる対象は、鐘や大鼓で探してもなかなか見つからない、と言っても差し支えない。そのことが日本人には、総理大臣から善意の婦人たちまでわからないとしか思えない時がある。 これは特定の国をさして言っているのではないが、常識の話だ。 村長に、貧しい村民にやれ、と言って古着を渡せば、村長がそれを売り払って私腹を肥やす。 植樹をした後、水を与えるための労賃を一括して渡せば、まず現地では水を撒くことはない。労賃として金を受け取った男がポッポして何もしない。水をもらえなかった若木は枯れるのである。そこに日本人がいて、毎日水遣りの労務者の「出面」(出欠)を取って、一日現場で監督を続け、一日の終わりに労賃を払うというようなシステムを続ければ大丈夫だ。 先日、アフリカの或る国からはコレラのワクチンが消えた、という手紙が来た。フランスは送ったというが、現地には全く届いておらず、数百人の死者が出ている、という。薬は誰かが取って売り飛ばしてしまったのだろう。人道や人権などという言葉が、簡単に現地で信じられ実行されていると思っている人には、現地を見せる他はないが、たいていの人は怖がってコレラやマラリアやエイズ患者や時にはゲリラもいる土地には行かないのである。日本財団の職員にはそれをさせて調査のやり方を教えている。 あらゆるものが盗まれるのである。誰でもが盗むものである。一番盗み易いのは、一番その国で偉い人だ、という原則はある。 何か事故があると、優しい日本人は新聞社やNHKや民放に寄付をする。私は新聞社やテレビ局が金を流用することはめったにないと思う。しかしその先がわからないのだ。そのお金がどういう形で何に使われたか、誰も厳しくチェックしないし、詳しく知らされることもほとんどない。 私は自分が働く財団で、地雷撤去にお金を出したいと思っている。しかし出したお金はどこの国の何という地方の何県・何村のどれだけの面積の土地の地雷の撤去を可能にしたのか、明示されて現地を見ない限り出せない。だから私は、善意のNGOなどでなく、日本の商社にやってもらいたい。或る時、この話をしたら、「やってみましょう。そしてその時は、社長に除去した区域を歩かせましょう」と言った人がいた。社長にウラミがあったのかもしれないが、笑いもあっていい空気だった。まともに受けてほんとうにそれくらいの気概が必要だろう。しかしその商社からは、その後何の音沙汰もない。 関東大震災の時、私の母も夫の母も、アメリカからもらった毛布のことを覚えていた。第二次世界大戦の後、アメリカはララ物資や脱脂粉乳をくれた。私はどちらももらった覚えはないのだが、夫はその頃夜学の教師をして、お金をかせいでいた。夜学には脱脂粉乳の配給があった。生徒たちは一口飲んであまりのまずさに窓から捨てていた。けちな夫が捨てるのはもったいない、と言うと生徒たちは「センセにあげる」と言った。一口飲んでみて、夫はそれを窓から捨てた生徒たちのキモチがわかった。 しかしいずれにせよ、日本は毛布も、ララ物資も、脱脂粉乳もきちんと末端にまで配ったのだ。こんな国はめったにあるものではない。そしてまたこういう国なら、すぐ援助などいらなくなるのである。援助がいるという国には、道義にも問題がある国が実に多い、とこのごろ思うようになった。 だから悲しいことに、援助をできる国はますます減ってきて、私たちの善意も、なかなか届きにくいのである。
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