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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 情報?多すぎると素人は始末に困る  
コラム名: 自分の顔相手の顔 339  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/05/30  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   学校ですべての子供たちがコンピューターを操作できるようにするのはいいこととなっている。一面ではそうだし、また機械でなければ処理できないほどの情報量を扱わねば、仕事にならない職種が、今後どんどん増えることは間違いない。
 しかし私たちのような普通の生活者が、今忘れていることがある。それは私たちの一日は二十四時間しかない、ということなのだ。
 二十四時間から、睡眠、食事、入浴、家事、通勤、勤務などの必要な時間を引くと、私たちが使える時間はかなり限られて来る。その中で「情報」がたくさんあっても、それをどう使うというのだろう。
 夫は最近のことを聞いても「知らない」と嬉しそうに答えて平気である。一カ月経つと意味がないことは覚えないことにしているという。私にはそんなルールはないのだが、今の私の生活にとって大切なのは、情報を多く入れることではなく、情報をどれだけ制限して、もう少し思索する時間を作るかということだ。
 今の教育は、知ることに血道を上げていて、それを「料理する」哲学のことは考えていない。教養と創造力がなければ知識をその人らしく活用することなど、全くできないのである。
 どんな人にも必要な情報と、そうでない情報とがある。
 週刊誌のお噂記事などというのも、一番いらない情報だろう。百科事典や新聞の情報がたちどころに出て来ても、それをどう使うかという個人の選択がなければ「知ってどうなる」というものなのである。
 最近私のところにどこの雑誌に出たものかわからない私に関する記事を送ってくれた人がいた。わずか原稿用紙三枚くらいの記事の中に、十一カ所の証明できる間違いがあった。私が自分で払った受け取りのあるお金を勤め先から出してもらったと書き、私が「一度も」個人の趣味で出かけたことのない場所に、私が始終出入りすると書いている。この記事を一番おもしろがれたのは、私のスケジュール全部とお金の出し入れを知っている秘書で、こういう作り話を載せた雑誌にお金を払う客がいることに、彼女は感心していた。
 情報というものは、玉石混淆である。あるだけでは何の価値も生まない。それをどう判断し、分析して整理し、意味の再構成を試み、その内容に、どんな創造的な意味を付加できるかということだけが勝負だろう、と思う。なかなか私にはできることではないが。
 どう使うかは、まず、その人の知識や個性や勇気による。それから、その人に時間がどれだけあるかにもかかっている。
 だから情報は、少ないより多過ぎる方が素人は始末に困るのだ。情報の入るのを防ぐ手立ての開発も要るのである。情報は接触するだけでかなりの時間がかかり、それを棄てるにもまた時間がかかるからである。
 



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