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≪ 「チャンピーノ」に鬼が出た ≫
ローマは三年ぶりだった。一人旅である。いやな予感がした。空港ビルの照明が暗い。客も少ない。タクシー代用に、US百ドルをリラに替えた。両替屋の客は私一人。二〇〇一年五月の夕刻。
ローマ観光のハイ・シーズンなのに、はて面妖なといぶかりつつ、「TAXI」の看板を探す。乗り場には客待ちタクシーが一台もいない。あらぬ方向から空車が近づいてきた。
白タクでないことを確認して、行き先のスペイン広場前のホテルを告げた。ローマは五回目なのだが、沿道の景色も違うような気がする。
旅行エージェントのくれた旅行日程表を出す。「チャンピーノ」とあるではないか。ローマの空港といえぱ、「レオナルド・ダヴィンチ」に決まっている。ローマに国際空港が二つあったとは、知らなかった。今回はユーゴスラビアのベオグラードから飛んだので、私の土地勘のない変な空港にもっていかれた??と納得した。後刻、イタリア人に聞いた。ここは元空軍の施設で、チャーター便や旧共産圏の旅客機が到着する空港とのこと。日本人になじみのない市の反対側に位置しているという。
やはり方角がよろしくない。案の定、トラブルが起こった。タクシー料金を払う段になって、百ドルを要求されたのだ。いつもの空港ならせいぜい四十ドルくらいのはずだ。ローマのタクシーは、メーターが後部座席の前についている。前部の座席から、身体をよじってのぞき込んだら、メーターの数字が消えていた。
この雲助運ちゃん、荷物を親切げに後部座席に運び込み、私を彼の横の座席に座らせたのだ。なじみの空港でないのでホテルまでの距離が見当つかない。メーターの数字がないので争うにも証拠がない。「計られた」と観念した。両替した百ドル分のリラを全部渡したら、「NO、NO」というではないか。私の計算ではUS百ドルは、二十万リラのはずだが、十五万リラと、小銭しかなかったのだ。BANCO(銀行)の看板を掲げた両替窓口だからと信用したのが、うかつだった。五万リラが一枚、五千リラにすり替えられていた。
両替屋とタクシーで二重の詐欺に遭ったのだ。なんとしても地の利が悪い。天も我に味方せずだ。「チェント・ドラー」とわめく雲助野郎の鼻先に、腹立ちまぎれに百ドル札をつきつけた。「Hundred doller」と言ってみろ」と英語で言った。「ウンドレ・ドラー。ウンドレ……」。「No, Once again」。三べん回ってワン」と言わせた気分で、じゃないが腹の虫がおさまった。この悪徳運転手、罪の意識のかけらもない。領収書をくれて、片言の英語でこう言った。「電話をくれ。帰りも迎えに来てやる」。堂々と握手を求めてきた。「冗談じゃねえよテメー」。日本語で言ってやった。
ここまで徹底すると悪徳商法などという生やさしい話ではない。「インチキ業」という特殊な産業が、この国にまかり通っている??と思うのが正しい。
翌朝、一人で観光バスを試す。空港の悪しきハプニングを堪能させられたついでに、ローマを一人で観光すると何が起こるかを実感してやろうと思ったからだ。「ローマの名所、朝の散歩コース」と銘打った観光バスだ。バスの日本語はテープレコーダーの解説のみと聞いたので、生身の人間の案内する英語のバスを選んだ。
≪ 黄色い傘のピノキオ爺さん ≫
ローマ・テルミニ駅前。まだ朝が早いのに七十人乗りのバスは予約客で満員だった。背の低いいかにも“イタリア人”ぽい爺さんがガイドだ。子供のころ読んだ童話『ピノキオ』のマエストロ・ジュゼッペ爺さんの挿絵そっくりの風貌だ。
「皆さん、おはよう。最初に言っておくがね。このバスはね、行方不明者については一切責任は負わんよ。一週間前、一人行方不明になったがね、いまだに発見されておらん。いいか、ローマは危険だ。人の財布のコレクションをしている素晴らしい奴らもいるからね。しっかりと気持ちを引き締めろよ」。滅茶、イタリア訛りの英語だ。この言い回し、ジョークのつもりだろうが誰も笑わない。
黒の背広の上下が少しくたびれている。大振りの黄色の雨傘をかついでいる。「この傘が目印だ。見失うんじゃないよ。迷子になるなよ」。爺さんに引率されて、バスを降りたり乗ったりを繰り返す。
「あれはなあ。城の崩れた跡じゃない。ローマン・パブリック・バス(公衆浴場)だ。冷水も温水もあった。図書室もあった。しかも無料だった。いまのローマにただのモノなんかありゃしない。ブツ、ブツ、ブツ」。そうだよな、爺さん。いまのローマは、ぼったくりがあるだけだ。この観光バス。五万五千リラ(三千円)も取りやがって、解説に熱が入ってないじゃないか??。これは私の独り言だった。
「オイ、みんな。もっと前に寄って。ワシは大きな声は出さん主義だからな。後ろの人は聞こえんよ」。トレヴィの泉で爺さんが言った。「映画『ローマの休日』知ってるな。肩越しに泉にコインを投げると願い事がかなう。でも、二つまでだよ。三つ投げると離婚になる。そこのお二人さん、よく聞いとけよ」またもや、誰も笑わない。この爺さん、態度が投げやりで、エンタティナーの精神に欠けている。
みんなシラケだした。黄色の傘に引率された隊列が崩れ、勝手に見物を始めた。私も爺さん離れし、別のことを考えていた。ローマの松についてだ。バスの車窓から、松の木の枝ぶりをもっぱら観察することにした。和辻哲朗の『風土』の書き出しに、風土が人間の文化を決める。ローマの松はパラソル型で、日本の松とは異なる。異なった風土が異なった文化を生む??といった意味の事が書かれている。それについて、実地検証に取り細んだのだ。
私は、文化が異なるから、松の型(“剪定”のやり方)が違うのである。松が異なる文化を育んだのではなく、異なる文化が、異なる松の形状を作ったのだ??との仮説をもっていた。
一人旅のつれづれに、じっくりとローマの松を吟味した。検証の結果、和辻説は「牽強付会(けんきょうふかい=こじつけ)である」との結論に達したのだ。爺さん、退屈なガイドアリガトヨ。おかげさんで哲学上の大発見をした。というと、ちと大げさだが、空港の“特殊産業”にやられた心の傷も癒えて、ルンルンの気分になった。
ローマの松並木は、よくよく見ると下の枝が、すべて刈り取られた跡があった。パラソル型を作るために、若木のうちからわざわざ勢定したのだ。かくて、ローマの松と日本の松とは異なる形状となった。ローマ人と日本人の美観と趣向の違いの産物だったのだ。
≪ 「初めにドロボーありき」ではない ≫
バスは一路バチカンに向かっていた。「三年前、ローマ法王庁は、記念コインを三千枚発行した。USコインのクオータ(二十五セント)の大きさで、二百ドルだった。それがいまでは、四千九百ドルまで値上がりしている。手に入れたい人は案内する。バチカン領内は付加価値税(二〇%)はない。買い得だよ」
爺さんの解説ににわかに熱が入り、バスの相客一同はバチカンの土産物屋に連れて行かれた。「コインの出物があるよ。欲しい人は奥の宝石売場にいらっしゃい」。店主とおぼしきおばさんがしつこく勧誘する。またぼったくられちゃたまんないよ。一個売れたらガイドの爺さん、いくら手数料をもらうのかな??。被害の後遺症のせいだ。思うことがどうも下びてきた。
バチカンのピエトロ大聖堂へ。「昔は、中までガイドが入れたが、今は禁止された。異教徒の外国人客のマナーが悪いからだ。ワシは外で待っている。静かに入れよ」と爺さんのご託宣。ローマ法皇がハ正午のミサを主宰していた。バスの同人たちは、三十分たっても動こうとしない。ミサ終了後、法皇の引き揚げる行列を真近に見るつもりらしい。
異教徒といたしましては、この辺が引き揚げどきである。黄色い傘の爺さんを探し、ひとこと、サヨナラを言おうと思ったが、見当たらない。どこかでずっこけているのだろう。「行方不明」をきめ込むことにした。
タクシーでホテルに戻る。今度は「インチキ業」の学習効果で、ホテルのドアマンにチップをやって、イタリア語?英語の通訳をしてもらった。ボラれずに無事帰還した。ロビーに、イタリア語通訳を頼んだサルバトーレ君が、仕事の打ち合わせのため待っていてくれた。
「どうでした」とニヤニヤしている。
「わかっていれば、空港まで迎えに行ったのに。イタリアには、ドロボーについての諺がある」。そう言って何やら、イタリア語で書いてくれた。「初めにドロボーありきではない。あなたが人間をドロボーにする機会を作っているのだ」との意味だという。
耳が痛い。こういう国の国民をやっていくには、家族と友人が大切だね。国家や社会は信用できないから……。そういう感想をもらしたら、「そう。僕だって、家族と友人がいなかったら、イタリア人として、この国で暮らしていけないよ」。彼の日本語は抜群に上手だった。
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