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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 人間の証?コーヘンは「25ドル」と答えた  
コラム名: 自分の顔相手の顔 84  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/09/29  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   オウム真理教以来、信仰とか宗教とかはすべて悪いものだということになって、日本人の心はますます痩せ細って来た。
 その宗教が本ものかどうかを見分ける方法については、前にも書いたことがあるのだが、多くの方がご覧になっているわけもないので、もう一回書くと、
 (一)教祖、指導者が質素な慎ましい祈りの生活をしているかどうか。
 (二)自分が生き神さまだとか、仏の生まれ代わりだとか言わないかどうか。
 (三)宗教の名を借りて金銭を集めることを強要しないかどうか。
 (四)宗教団体の名で、選挙と政治を動かすような指令を出さないかどうか。
 この四つが正しく守られていれば、それは恐らくまともな宗教であろう。
 昔の子供は祖母に連れられてお寺参りや神社の初詣に行った。当時は盛り場などに乞食もいたから、親たちがそういう人たちにお金を上げるのもじっと見ていた。今でも世界中で「喜捨」とか「困っている人に恵むこと」は人間的な立派な行為だとされている。しかし日本ではこうした行為を学ぶ場も少なくなった。
 アメリカの軍隊で或る日点呼が行われた。「コーヘン!」と呼ばれた兵隊は「はい」と答える代わりに「二十五ドル!」と答えた。
 コーヘンというのは典型的なユダヤ人の名前である。彼らは幼い時からいつも、離散の生活の中で苦悩の絶えなかった仲間に対して義援金を出すことを習慣づけられて来た。名前が呼ばれる時は、出欠を問われているのではなく、「お前はいくら出すか」という意志の確認に決まっていたので、彼は反射的に自分が出せる寄付の金額を答えてしまった、という話を読んだことがある。
 しかし今の日本の若い人たちの多くが、こういう「人間の心」を持ち合わせない。受け取りを貰えない金は一切出さない、という信条だ。或いは「困っている人は、国家が助ければいいじゃないの」と平然としている。
 人間の不幸や苦しみに、心が揺り動くという瑞々しさが全くないのだ。国家や社会の救援も必要だろうが、同時に親戚や町の人や友人が、自分の食べるご飯を減らしてでもその人のために醵金(きょきん)して助ける、というのが「古来も、そして未来も」人を助けることの基本である。動物はほとんどそういう意識的な手助けをしない。人間だけがそれをする。言わばそれが意識の上での人間の証(あかし)である。
 私はカトリックだが、仏教のお寺にお参りしても、手を合わせ、僅かなお賽銭を入れる。お寺で心を救われる人も多いのだ。ありがとうございました。お寺をこうやって維持なさるのも大変でしょう。でも苦しんでいる人たちのために、今後もどうぞよろしくお願いします、という気持ちである。だから茶道具に凝ったり、お茶屋遊びをしたり、女性を囲ったりするようなお坊さまとは、口をきくのもいやである。
 



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