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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 爽やかな宴?アフリカの自然を食べる  
コラム名: 自分の顔相手の顔 282  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/10/26  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   アフリカ、チャドの奥地に住む日本人シスターたちの生活は単純だ。庭で採れたもの、村で買えるもの、村人がくれたもので生きている。とは言っても、私はライスカレーを作りますからと予告して、ジャガイモと玉ねぎと、できたらニンジンも買っておいて下さい、と頼んだ。しかしそれは大変贅沢なことだったのだ。
 私たちはヌジャメナからのチャーター機にジャガイモまで積まねばならなかった。南の村ではジャガイモは買えない。しかも私はコンゴでカレールウを使いはたしてしまい、献立を急遽遵肉ジャガや帆立て貝ご飯に換えねばならなくなった。しかし肉ジャガは好評だった。私たちはそれを二度に食べた。堅いのをごまかすためにミンチにした肉と野菜を、まずおかずとして食べ、それから残りの汁をご飯に掛けた。
 パンは数日に一度、料理人が焼くという。料理人をおくということは、一種の失業対策であった。彼がその辺で採れたグァバの実でジャムを煮るし、土地産のピーナッツでピーナッツバターも作る。
 村へ行くと必ず歓迎の印に生きた鶏をもらう。私たちはそれを食べてもいいのだが、放し飼いにして卵を産ませてもいいのである。
 今度は他に巨大なカボチャももらった。土地の女性たちが、歌いながら、踊りながら贈ってくれたのである。カボチャ一個でこれだけ楽しくなれるというのも、私たちにはない才能だ
 私はそのカボチャを、修道院の料理人に切ってもらった。この皮の堅いカボチャを自分で切ることになったら、私はおぞけを振るっただろう。料理人は、櫛形に切ったカボチャの皮を丹念にはぎ取ってくれた。まず半分をオイルで焼いて塩を振った。これは好評であっという間になくなった。
 次の日、私たちの迎えの飛行機は予定よりも遅れることになった。昼ご飯にかかっても、修道院には食料の余裕もさしてない。私は半分残っていたカボチャを日本風に煮ることにした。持参した醤油は貴重品だから、色と香りづけだけにちょっぴり使って、後は塩と砂糖で味を整える。砂糖は精製してないし、塩も岩塩だから、それだけで味わいも深くなるのである。
 贈り物のカボチャ一個で二食のごちそうを作る。他にもちろんトマトもパンもあるのだが、爽やかな食事である。それから飛行機が来るまでの間に、カメラマンと私は、二人で修道院中の包丁研ぎをした。二人共、包丁研ぎが趣味の一つなのである。
 アフリカの人たちは、切る、より、ぶっ叩き切る、という感じで刃先の丸くなった包丁を使って生きている。こんなに切れるようになったら、後、使う人は気味が悪いだろう、と思いながら二人とも無念無想である。
 一日の一分一分が濃密だ、と誰かが言った。時と人生が流れる音、それが死に近付く音も聞こえそうなのである。
 



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