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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 棄てる?60を過ぎた頃から死ぬ支度  
コラム名: 自分の顔相手の顔 277  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/10/05  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私は六十を過ぎた頃から、そろそろ死ぬ支度に、ものを減らそうと考えた。まず数日がかりで写真を数百枚、手書きの原稿を数万枚焼いた。人家のまばらな土地で焼いたのだが、煙で喉がおかしくなってしまった。
 それ以来、新品で使わなくて済むものはすぐバザーに出す。使わないものは、もらってくださる方があれば、すぐお願いして引き取って頂く。友人の両親で新聞紙、空き瓶、空き箱などすべて棄てないで溜め込む方がいて、亡くなった時もう若くもない娘が、それを棄てるだけで、厖大なお金と体力を使った。その話を聞いて深く反省したのである。
 もちろんそれでもまだ、セーターや皿小鉢など、いいと思うものがあると買い込む悪癖は残っているが、つい最近新幹線の中においてある「L&G」という雑誌の中で、中江克已氏の「歴史よもやま」という連載で「葛飾北斎はなぜ九十三回も転居したのか」という点を大変おもしろく書いておられた。
 北斎は絵を描くこと以外、世事には全く関心がない。晩年は出戻りの娘と暮らしたが、この娘がまた絵描きで炊事も洗濯もしない。塵が溜まってもほったらかしだった。家に悪臭が立ち込めるようになると、北斎父娘は塵をおいたまま、必要な鍋釜だけ持って引っ越しをした。そのため北斎は九十歳で死ぬまでに、何と九十三回の引っ越しをすることになったのである。
 私の知人に、仕事をやめてから、二度の勤めなど全くしようともせず、東京のマンションを売り払って、近県のすばらしい眺めの土地を広々と買って移り住んだ人がいる。
 その人の夫人は当時病気がちで、家移りの支度などできなかった。引っ越し会社の広告はおしなべて、家の持主は何一つしなくても引っ越しはできるようなことをうたっているが、そんなことはありえない。引っ越しを契機に、ものを棄てるかどうかという選択は、当人がしなければならず、棄てると決めたものは、規則通りのやり方で決められた場所に棄てなければならない。
 その夫婦が賢明だったのは、棄てるという作業を、人に押しつけたことだった。つまり自分の使いたいものだけを中から選んで新居に運び、後は不動産屋の言うなりの安い値段でマンションを売った。ただし家は「塵つき」で空け渡す、という条件であった。水道、ガス、電気、などを止めるという残務も不動産屋がする。残したものは、部屋の中で塵の山になっているだろうが、家具でも、茶碗でも、布団でも、飾り物でも、不動産屋が使うなり棄てるなり、勝手に始末する、という条件であった。それでやっと、夫婦は病気と引っ越しという危機を乗り切ったのである。
 老年の仕事の一つは、いかに手廻しよく棄てるかということだ、とここのところ私は書き続けて来た。しかし北斎や私の知人のような賢い方法があると知ると、少しほっとする。
 



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