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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 援助?心が生きていない貧しい根性  
コラム名: 自分の顔相手の顔 90  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/10/20  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   日本の政府、民間を問わず、途上国援助について、果たしてそれが有効かどうかという論議はいつもあるが、これは大切な問題だと思う。十月八日の夕刊で、私は自民党が北朝鮮に対して食糧の支援を党として実施することを了承したという記事を読んだ。政府は週内にも世界食糧計画に対して約三十三億二千万円、国際赤十字・赤新月社連盟に対して九千四百万円を拠出し、世界食糧計画に対する三十三億円余で日本から米約六万七千トンを購入した上で、北朝鮮に送るという。
 その前日か前々日かに、私は北朝鮮の食糧危機は今年の収穫期を迎えて、ほぼ乗り切ったという記事を読んだばかりである。
 日本の外交というのは一体何を考えているのだ。もし北朝鮮がほんとうに食糧難なら、今年の玉蜀黍(トウモロコシ)や米がとれる前に送るのが当然だったろう。お金やものは出す時期が遅れると効果は半減する。私の勤めている日本財団では払うべきお金は一刻も早く払うということに全力をあげている。災害救助に対する支援は、人は翌日、お金は二日目か三日目に出すシステムを作っている。
 しかもこのお金の出し方を見ると、人を助けるというより、助けるという名目で、自分の都合を考えているのは見え見えだ。つまり余った米を出すのである。米は緊急時に備えて備蓄するのは当然だが、備蓄が多過ぎると倉庫料だけでばかにならないお金がかかる。今年の日本の米の収穫量も見極めた上で、ほんとうに余ってきたから、相手にやろうか、ということである。違うかもしれないが、そうとしか見えない。そこには人情も見えない代わり、自分の都合で相手に物をやるという貧しい根性が見えすいている。日本人はいつからこれほど単純で愚かで徳のない行為をする国民になったのか。こういう政治家と、私たちといっしょにしてほしくないものだ。
 本当に北朝鮮は食糧に困っているかどうか、という問題も考えが二つに分かれている。うちの財団でも、数人が北朝鮮に入り、貧しい家を訪問し、子供の施設に行き、写真を撮って来た。その写真を見る限り、北朝鮮の食糧不足はそれほど深刻とは思えない。私がアフリカのエチオピア、マダガスカル、ブルキナファソ、象牙海岸などで見た栄養失調の子供たちには、一見素人には矛盾して見える羸痩(るいそう=ナチスの強制収容所の人たちのように痩せていること)と浮腫(太って焼死体のように手足が腫れていること)が飢餓の特徴として現れていたが、北朝鮮の子供たちはそのどちらの段階にも達していない。もちろんろくなおかずなしで蛋白質も足りない食事を食べていることは事実であろう。それに私は現地を踏んでいないのだから断定してものを考えることはできない。
 しかし援助はまず充分に疑い、するなら心が生きて届かなければならない。相手を思いやる心がなくて自分の都合で援助をしても、ほんとうにお金をドブに棄てることになる。
 



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