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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 家庭の会話?くだらないから心安まる  
コラム名: 自分の顔相手の顔 129  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/03/23  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   ずっと昔、家庭では会話が大切で、食事の時テレビを消すだけでも子供と自然な関係が保たれるんじゃないでしょうか、と言ったら、子供とはどういう話をしたらいいでしょうか、と質問された。
 こんな質問を受けるとは思ってもいなかった。家族の話なんて、昔からずっとくだらないことに決まっている。どういう話、などと言われても困る。質問した人は、教育的であるには特別の話題を作って話さなければならないと思っているらしいが、家庭の会話なんてばかばかしいから心が休まるのである。
 今日はどこのマーケットでどんな安いものを売っていた、とか、うちの猫は間抜けだからお隣の猫に餌をかっぱらわれた、とか、ママさん・コーラスで声を褒められて声楽家になればよかったと言われた、とか、まあそんなことだろう。それに母親(自分のであろうと夫のであろうと)、兄嫁、その他の人々のワルクチなども少し加わって、ふと気がつくと夫も娘も真剣に聞いていないことがある、という程度のものだ。
 我が家では先日、結婚四十年を超える私たち古夫婦でもお互いに知らないことがある、ということで少し驚いた。
 夫は小学校の入学式と、大学の卒業式に遅刻したのだという。首尾一貫した遅刻人生だ。夫の父はイタリア語学者で、編集者だったが、センスはいい人なのに事務的でなくて、月刊雑誌を一月(ひとつき)、出さなかったことがあるという強者(つわもの)である。その父が、小学校一年生の夫を連れて、駅で電車を降りてしばらく行くともう始業の鐘が聞こえてしまった。つまり遅れたのである。そのことを覚えているところをみると、夫も子供心に「これはまずい」と思ったのだろう。
 大学の卒業式は、戦後の混乱期にあり、当人も大人になっていたから、それほどショックではなかっただろうが、会場がいっぱいで入れなかったから帰って来た、という。つまりもう少し早く行きさえすれば、会場に入れたということだ。
 遅刻人生だが、それでも何とか生きてこれた。自分がこういう性格なので、遅れる人にも割と寛大である。遅れがちの悪癖も、社会人になって責任が発生するようになると、あらかた矯正されている。だから役所の会議などには決して遅れなくなる。人間、どんなになっても棄てたものではないのだ。
 父親と母親が自慢話をすると、子供は聞いていないでよそごとを考えている。父親がどんなに秀才だと言っても、母親が自分は昔どんな美人だったと言っても、まあそこそこだということを子供は知っているからである。
 しかし父と母の失敗談には眼を輝かせる。人間性を感じるからである。「私はそうはならない」と思うか「私の方がずっとましだ」と思うか、とにかく失敗した話は反面教師的な意味で子供を伸ばす力になる。やはり、くだらない家庭の会話は大切なのである。
 



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