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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 国際的な事件?すべてを軽々しく信じるな  
コラム名: 自分の顔相手の顔 402  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/01/17  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   なぜ今になって「インドネシア味の素」の製造過程に、豚の膵臓から抽出した酵素が触媒として利用されていたことが問題になったかについては、様々な憶測、雑音が入って来る。
 確かになぜ今なのか、なのである。
 一月十日付けの毎日新聞の解説によると、インドネシアでは過去にも食品の「豚肉混入疑惑」は何度かあったようである。一九八八年には「国産の即席めんや調味料などに豚肉成分が含まれていることが発覚したというし、一九九二年にも、「国産の粉ミルクに豚肉の脂肪分が混入しているとして回収騒ぎになったという。
 今回の事件についても「インドネシア味の素」では、「昨年九月の当局の指摘は、分解酵素の変更を指示しただけで、回収命令はなかった。十二月になって、ずいぶん雰囲気が変わった」と戸惑う面も見せている。
 幸いインドネシアでは、ワヒド大統領が「味の素の製品には問題ない」として一応の収束の方向に向かっているというが、そんなに簡単に済むだろうか。
 いつの場合でも、貧しい階層は、この手の事件をきっかけに、日頃の不満を爆発させて指導者たちを批判し追い落としの材料にする。或いは、政府の側から、国民の政府批判をかわすために、意図的に憎しみを他国に向けさせる場合もある。
 貧しい人たちは、信仰においてしか指導者階級より勝るものを示せないから、こと信仰を表明する姿勢には、ますます厳しく熱心になる。それは自己存在の証の一つなのである。
 そしてまた、通俗的な意味でも信仰の本質においても、貧しい人の方が神に近いことが多い、ということは一つの真実である。ただし本来、信仰の深さを計れるのは神のみなのだが、人間が現世で他人に信仰を示そうとすると、ふしぎと政治的行動に走ることが多い。
 これは一般的な解釈だが、すべての規則は金を稼ぐ方法として使われているのである。日本でもたまにそういうことをする人がいるが、多くの国では多くの官憲がいささかの金を稼ごうと思う時、細かい規則を楯にとってその違法を衝き、相手からなにがしかの金を巻き上げることが常道だ。
 国際的な事件のすべてに裏がある、と反射的に疑うことは人間として義務に近いと私は思っているが、同時に多くの場合、真実は解明されないのだから、そのどれかの説を信じることはまた人間の義務に反する。
 恐らく人間の直面しなければならない現実を勇気を持って受け止める、ということは、疑うことを恐れず、軽々しく信じることもせず、不透明な社会を不透明なまま認識する、というその居心地悪さに耐えることなのだろう、とこのごろ思うようになった。
 警察が乱れているとか、総理に国際感覚がないとか言っても、日本人は表裏のない人に会い過ぎていて、疑うという動物として必須の本能まで失いかけているように見える。
 



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