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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 神は心の中?謝罪するのも償うのも自分  
コラム名: 自分の顔相手の顔 383  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/11/01  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   十月二十五日付けの朝日新聞「声」(投書欄)に、七十七歳の大学生という方の投書が載った。
 この方はもちろん日本人だが、ドイツに住んでまず驚いたことは、電車の駅に改札のシステムがないことだった。それでいて、車内の検札もあまり行われていない。
 見つかれば大変高額な罰金を取られるということは、私も聞いたことがある。そしてこの方はこう書く。
 「友人に『ただ乗りができていいなあ』と冗談を言ったところ、『おれたちは、そんなバカなことはしない。ちゃんと神様が見ているんだから』と怒鳴りつけられました。私は赤面の至りでした」
 しかしこういうことを書けるところを見ると、この方は自分の「冗談」がずいぶんはずかしいものだと、本当に考えてはいないのだろう。こういう破廉恥な言葉は冗談にならない。たとえて言えば友人の夫婦の前で「君の奥さんは実に美人だね。一度セックスしたいよ」と言うのに似ている。それが冗談になるだろうか。
 人間は誰でも無考えだの、いたずらだの、欲深さだの、早とちりだので、すいぶん悪いこともするものだが、常識のある大人のただ乗りは、人間として非常にはずかしいものだ、ということに私の家ではいつの間にか家族の間で同じ価値観を持つようになっている。
 物を知らないことなど、別に本質的な恥ではない。しかし、ただ乗りや万引きは、一度でもそれをするようだったら、高校や大学へ行くより、まず人間の性根を叩き直さないとだめなような気がする。
 人間でも動物でも、能なしはご愛嬌があるが、ずるい卑怯者は薄気味悪い。
 この投書者は隣家の裁判官の、「戦後、日本は経済で立ち直った。ドイツは違う。戦争中に犯した罪を聖書に立ち返り、神様に悔い改めることによって立ち直った。(中略)すべての日本人はその真実を知らない。だからいつまでたっても日本は本当に立ち直れない」という苦言に感心して「私も日本人の明日を心配する一人です」と結んでいる。
 罪はあくまで、犯した当人が神に許しを求めるものである。だから他人の犯した罪を私が代わって謝ることも、私の罪を他人に謝らせることもできない。また罪を犯していない代理人から謝罪されることもできない。
 国家が他の国家に対して謝れ、という時、通常それは「金を払いなさい」ということである。その点を日本人の多くは認識しない。世界は頭を下げれば許してくれるような甘い所ではないのだ。
 一部の日本人や日本の多くの新聞は、しばしば「日本は謝罪すべきだ」と言うが、謝る人の中に自分は入っていない。悪いことをしたのは他人で、それを責めれば自分は善人になれる。ましてや自分がその償いのためにせめて金を出すことさえ決して考えない。
 心の中に神がいないと、ただ乗りは見つからなければ得になる。日本人全体の明日より、めいめいが自分の明日を心配することの方が大切だろう。
 



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