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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 通勤手当?最近の世相の薄気味悪さ…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 89  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/10/14  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   新聞の見出しはこうなっている。
 「川崎の市立高 先生の“カラ通勤”生徒が暴く。自家用車が邪魔▼疑問に思い市に訴え▼一度は文書開示却下▼めげずに問い合わせ」
 つまりこういうことである。川崎の市立高校の定時制の教師二人が、自家用車で通勤していたのに、通勤手当として電車やバスの利用料金を受け取っていたことが、同校に通う二十歳の生徒の「告発」で明らかになり、二人は不当に受けていた通勤手当の六十二万円を返還するように求められた、と言う。
 カラ通勤というから、私は学校に出勤していないのに、出たことにしてもらっているのだ、と思ったのである。しかしこの教師たちはちゃんと出勤しているらしい。車はただでは動かないから、自家用車で通いますからガソリン代や高速道路料金も支払ってくださいと言えば通るのだろうか。しかしガソリン代を正確に払うということも、実際はかなりむずかしいことになる。奥さんに頼まれて近くのスーパーに買い物に行くこともあるだろうし、休みの日にはドライヴをすることもあるだろう。一台の車の用途を公用と私用に厳密にわけることは不可能に近い。
 そこで常識がものを言う。学校が承認する一番妥当なルートを使った場合の通勤費を貰い、その範囲で車のガソリンを買ったり、メインテナンスをしたりする。週五日学校に通うとしたら、そのために車を使うことが一番多いのは明らかだ。
 もう一人は、便乗して通っていたとも読める先生である。それだと、通勤費は全くいらないわけだ。それが「カラ通勤」となるのか。
 人生には、どんな通勤の仕方も、事情もある。その日によって通うルートが違うこともある。体のために、毎日走って通勤している人だっているのだ。それならその人には、通勤費は払わないのが正義なのか。正当な通勤費の範囲内ならどんな通い方をしようが「私の勝手だ」と私は思っている。
 先生たちの車が、生徒たちの自転車置場を占領していたことはかなり悪い。校長も注意し、教師自身もルールを守るのが教育だ。
 この生徒は反撃に出る。市の情報公開条例に基づき、教師二人に関する通勤届の公文書開示請求を行う。市側が「生活事項について特定の家人が識別され得る情報」として請求を拒否すると、生徒は直接問い合わせをして、校長や教員に再調査をさせる。
 この生徒のやり方は最近の世相の薄気味悪さをよく出している。こんな些細なことを暴くのに、勉強か勤務をそっちのけにして走り廻る。これで正義が勝ったなどと思ったら大間違いだ。これは正義でもなんでもない。けちな復讐心を異常なしつこさで成就し、それを評価した(としか思えない)産経新聞が記事にし、再び信念のない校長がまた安易に生徒に謝ったというだけの事件である。最近の一連の事件で、信念のある行動や返答を示した校長をまだ一人として見たことがないのも異常である。
 



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