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先日関西に住んでいる息子が東京に出て来た時、私に一枚のカードを渡し、 「スーパーでこのドナー・カード見つけたからもらって来ておいてあげたよ。でもそちらはもうお年だから、あげたいと言ったって先方から断られちゃうかもしれないけど」 と言った。例の臓器提供意思表示カードで、家族署名という欄があるから、すぐ息子に署名させて、私は意思表示を完成した気持ちになっていた。 このカードはほんとうにいいシステムで、これで脳死による臓器提供に反対する人たちには、完全にこの授受の圏外に立ち去ってもらうことができる。何しろこのカードで承諾しなければ、「絶対に」臓器を「取られる」ことはないのだから安心だろう。その代わり私たち夫婦のように「さしあげさせて頂く」ことを希望する人間の邪魔はしないでほしい。 今度、東京で臓器を提供された三十代の男性のご家族に、私は再び深い感謝と尊敬の祈りを捧げている。この方のご家族は角膜も提供したいと希望したのに、カードの不備でそれができなかったと聞いた時、私は奇妙な感じがして、改めてカードを出してきてみた。 意思表示は、三つのカテゴリーに分かれている。1は、「私は、脳死の判定に従い、脳死後、移植の為に〇で囲んだ臓器を提供します」で、そこに「心臓、肺臓、腎臓、膵臓、小腸、その他( )」となっている。( )の中に私は全部と書き入れたが、それをしないと眼球は入らないのだ。 2は、「私は、心臓が停止した死後、移植の為に〇で囲んだ臓器を提供します」で、その後に「腎臓、眼球(角膜)、膵臓、その他( )」が選択できる。 3は、「私は、臓器を提供しません」という積極的な反対派のための項目である。 1、2、3、のうち、1を選んで〇をつけると、眼球はその中に入っていなかったから移植できなかった、というのだ。 何という非人間的な解釈だろう。臓器全部の提供を認めておいて、遺族が「眼球もどうぞ使ってやってください」と言っているのに、意思表示のカードの「その他」が空欄になっていたというだけで拒否する。こういう杓子定規な解釈は、「東京大学法学部出身者」にしか考えつかない非人間性である。何より法が先で、人間のための法としては決して解釈しないのである。 昔「国境なき医師団」のフランス人医師が講演した後、質問の時間に一人の日本人が手を挙げて尋ねた。「あなた方は戦乱の土地に、まだ銃声と混乱が続く時に行って治療を開始する。そういう時その土地の医師法はどうするのですか?」。するとフランス人の医師は明確に答えた。「そこに患者がいる。そして傍に患者の命を救える私たちがいる。それ以上の何を気にする必要があるのですか?」 それが人間の答えというものだ。厚生省の判断とは、何という違いだろう。
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