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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 安全な社会?運命や絶望見据えてこそ…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 18  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/01/20  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   安全神話というものの、現代社会におけるはびこり方は凄まじいものがある。
 「安心して暮らせる社会を」と皆が言い、政治家も「皆さんに安心して暮らして頂けるように」などと言う。こういうことを言う政治家は、それだけで一種のウソつきか、ものごとに対する認識が不足だということがわかるのだが、選挙民の方も安心して暮らせる社会があると思っているからどうしようもない。
 どんなに用心しても、人は思いもかけない突発事故に巻き込まれたり、昨日まで元気だったのに突如として病に冒されたりする。
 ガス、水道、電気、原発、鉄道、道路、橋、船、飛行機など、安全をいささかでもなおざりにしたらただちに大きな事故に繋がるものもあるから、決してそれらのものの運営に気を抜いていいということではないけれど、いかなるものも絶対に安全というものはないし、安心して暮らせる世の中などというものもないということを、認識するのもさせるのも、一つの教育的な姿勢だろう、と思う。
 或る日テレビを見ていたら、どこかの湖が(途中から見たので残念ながら地名がわからなかった)白鳥の素晴らしい棲息地になっている。ところが白鳥の中には、湖の極く近くを走っている電線にひっかかるのがいる。それで電線を低くする工事が始まった。アナウンサーも「白鳥が安心して飛べるように」などと言っている。
 野性の動物に「安心」などというものはないだろう。もちろん原油の流出に巻き込まれたり、樹木ではない電線の存在に出くわす、などというのは、彼らにとって新しい当惑すべき体験だろう。しかしそれらは、他の敵に襲われたり、気候の変化に見舞われたりすることと同じ、試練の一つである。原油の流出は見た眼には凄まじい汚染だが、あれが原因で死ぬ鳥や魚は、彼らが本来、生態系の苛酷な競争や弱肉強食の中で、淘汰されて死ぬ率から比べたら非常に少ないものだろう。
 電線を低くすることに別に反対もしないし、自然を確保することも大賛成だが、「白鳥に安心して暮らしてもらう」という発想は、親切なようでいて、実は人間風の思想を白鳥に押しつけていると思う。
 最近の学校では、希望はしきりに教えるけれど、運命の限界は教えない。昔は運命の限界なんか毎日の生活の中でいくらでも見られた。家庭には老いて死んで行く祖父母がいたし、結核のような死病と言われた病や、今日食べるものもない貧困などを、救ってくれる組織もなかった。しかし今では、社会に救済の制度ができているから、病気が放置されることも飢え死にすることもなく、人の生涯の基本的な姿はいよいよわからなくなる。
 運命や絶望を見据えないと、希望というものの本質も輝きもわからないのである。現代人が満ち足りていながら、生気を失い、弱々しくなっているのは、多分、絶望や不幸の認識と勉強が徹底的に足りないからだろう。
 



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