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≪ 爆音に馬が走る、ラクダも走る ≫ ウランバートルから、日程を変更して、はるか南のゴビ砂漠に飛ぶ。我々一行がモンゴル首相府に出しておいた旅程は、この国の北西部の「ゾド」(雪害、乾害、氷害)の地域だったが、「立ち入り不能の地域が多いから、お勧めできない」との返事が戻ってきたからだ。
「Mouth and Foot Disease」(牛の口蹄疫)を知ってますか。牛だけでなく人間も移動禁止です。人間の靴の底に付着した土が、ウイルスを運ぶ。そうなったら、モンゴル中の牛(千五百万頭)が死んでしまう」。首相の顧問で、高名な医師でもあるハタンバートル博士にそう言われてしまったのだから、あきらめざるを得ない。
「燃料代を払ってくれるなら……」という条件で、二人の軍人パイロット付きで、陸軍のロシア製大型ヘリ「ミール」(平和)を調達してもらった。早朝、十四人乗りのヘリはウランバートル空港を、はるか南のゴビ砂漠に向けて飛び立った。一瞬、「オヤッ」と思ったのである。このヘリは、百メートルほど滑走したのちおもむろに空に舞い上がったからだ。ヘリとは、いきなり空に浮き、それから飛行する??それが「ヘリの常識」と思っていたのは、とんでもない非常識であることを知ったのだ。
「この軍用ヘリは、安全よ。多少重量オーバーでもいきなり墜落はしません。飛行機と同じように水平飛行で離着陸ができるから……」一行の一人で、元日航スチュワーデスの女史がそう言った。実をいうと、内心ビクビクしていたのである。
数力月ほど前、雪害視察の国連のチャーターヘリが、垂直に空に上がったとたんに、過積みで浮力を失い、地面に叩きつけられ全員死亡??のニュースに接していたのだ。以後、彼女の解説を信用し、“大船”とはいかないまでも、ともかく“安心”することにしたのである。
高度、三百メートルの低空から見た早春のモンゴル。どこまで行っても、ラクダ色の単色である。これが日本の春なら、緑あり、土の色あり、ときには色とりどりの花畑にもお目にかかれるはずだ。だが草原であるはずの丘陵も、砂漠も、道路も、川らしきものもすべて同じ色だった。低い山にさしかかると、太陽の光を反射する大きな鏡のようなものが、いくつか見える。凍りついた雪だ。
あと一カ月待つと、溶け出して、灰色のカラッポの川の道を、水で満たしてくれるのだという。馬、牛、ラクダそして羊の群の頭上を低空で飛ぶ。爆音に驚いた馬とラクダが、眼下を疾走する。羊の群は動かずにいる。「エサを食べているのだ」。案内役のハタンバートル博士が言う。空からはよく見えないが、地面にへばりついた短い枯れ草をあさっているのだ。栄養価は低いが、それが唯一の冬のエサでありなんとか命をつなぐ。家畜も牧民も雪解け水が育くむ緑の草原の出現を辛抱強く待つ。それがモンゴルの冬の草原の牧民の生活だという。円形のゲル(組み立て式移動住居)が散在している。
≪ 「そこに山があるからだ…」 ≫
ウランバートルから、丘陵の谷を縫って続く道を南下すること五百キロ。南ゴビ県の県都ダランザドガドの空港に降りる。町のすぐ西には、ゴルパンサイハン山地という名の低い山々が連らなっている。モンゴル大草原の南端である。ここから二百キロ南は、中国国境で、国境沿いに二千キロ、帯状に展開するゴビ砂漠がある。
人口、一万二千人。人口の稀薄なモンゴルの基準からいえば草原の大都会といったところだ。どうしてここに都市が出来たのか??。この町で高校卒業まで育ったという同行の首相府儀典長、バトジャルガルさんが言う。「それはあそこに山があるからだ」と。「そこに山があるから」とはどこかで聞いたセリフ。たしか高名な英ヒマラヤ登山家が「なぜ山に登るのか」と問われて答えた名文句だ。イタリア語を学ぶためルーマニア留学の経歴をもつ儀典長氏はなかなかの知識人で、この言葉を知っていた。「でもそういう意味じゃない。山があると谷がある。雨が降る。氷が解ける。谷は川になる。水があると草が生える。草が生えると人と家畜がくる。人が歩くと道ができる。道ができると町ができる」。彼の解説である。「ダランザドガド」とは、たくさんの小川の集まったところという意味だという。
空港の入り口には、門柱代わりに等身大のラクダの像が一対、立っていた。この町にはラクダが八万頭いるという。モンゴルのラクダは、コブが二つある。アラブのラクダのコブはひとつ。
なぜかと聞いたら、信州大学出の我々の通訳、ダワ・ジャルガル外務省書記官が、「モンゴル人にとって草は命。ラクダのコブの上に立ちあがって、草のありかを探しているうちに、コブがへこんで、いつの間にか二つになりました」と。モンゴル人は冗談がウマイ。冬はラクダの発情期で気が荒くなる。よだれをたくさん出すので、たてがみが凍る。背中に負った氷を武器にして、突進してくるという。
「砂漠で野生のラクダを見たら、近寄らないでください」。こちらは本当の話だった。
ゴビ砂漠に出かける。この町で案内人が一人乗った。砂漠は目標がないのでヘリが迷うことがあるからだという。ゴビの高原は標高千三百メートル。超大昔は海だった。今でも貝殻がたくさんある。このあたりが地殻の大変動で高原になったのは、中世代(二億四千万年前)だ??と持参の旅行案内書にある。オルトという名の小さな村落に降りた。中世代の恐竜の大生棲地だったという。「ホラ。これ恐竜の骨です」。冗談好きのダワ君が、ひとかかえもある化石を拾ってきた。実は牛の頭の骨であった。
昔は恐竜のタマゴが、ごろごろしていたが、今はなかなか見つからないという。
恐竜の化石よりも私が興味を持ったのは、砂漠の地肌の多様性であった。砂漠といっても砂だけではない。「ゴビ」とは、不毛の土地との意味だが、よくよく観察すると色々なものがある。赤や白の砂地あり。黒、白、青、赤、黄の石ころあり。何千年もの間、風に転がされて、どの石も磨きがかかり、ツヤツヤと輝いている。一見、枯木風の灌木が生えている。「この木は生きている」と儀典長氏。砂利を取り除いて、根っこの周囲を掘ってみる。赤い砂が、しっとりとやわらかい。雪解け水がしみこんでいるのだという。
≪ 砂漠の夜空に人工衛星 ≫
この中に砂漠の春がある。やがてこの木は緑の葉を繁らせる。一匹の赤い虫がとび出してきた。ゴビ砂漠の「啓蟄(けいちつ)」の候だ。ヘリは砂丘に飛ぶ。この砂丘は長さ三十キロにも及び、風で移動が激しいという。ヘリの姿を見つけて、オートバイや馬、そしてラクダに乗った砂漠の住民たちが、どこからともなくやってきた。通訳を通して会話を交わす。「どこから来たのか。ああ、日本か。日本は知っている。おしんの国だな。桜まつりはまだか」と言っているそうだ。ゴビの砂漠で、おしんと桜まつりの話が出るとは意外だったが、テレビの衛星放送が砂漠のゲルにも普及しているのだという。
ダランザドガドに戻る。もはや夕暮れが近い。パイロットが、ウランバートルの管制官に問い合わせたら、「夜間飛行は危険だから、そちらで一泊せよ」との指令を受けたという。「俺は夜間飛行の名人なんだ」。不満げであった。国連チャーターのヘリの事故で、モンゴル政府は安全に神経をとがらせているらしい。
でも、我々一行にとっては、ゴビ砂漠にぽっかりと浮かぶこの町での一泊は大歓迎だった。有名な砂漠の星座に一度お目にかかりたかったからだ。首都ウランバートルは、火力発電所が四つもあり、スモッグで星はほとんど見えない。
空港近くの小さなホテルでの会食、サイの目に切ったジャガイモのサラダ、肉ウドン、羊肉のステーキ。アルヒ(モンゴル製ウオッカ)で乾杯。話がはずんだ。この町で生まれ育った儀典長氏の話には、考えさせられるものがあった。
「子供の頃、川でスケートをやった。モンゴルの有名スケート選手はこの町の出身だった。モスクワの大会で入賞した者もいた。“砂漠でどうやってスケートを練習するのか”とロシア人は不思議がった。でも今はダメだ。冬の川には水がなくなった。社会主義時代、ソ連の勧めで山の氷河の下で、灌概(かんがい)をやり、町の野菜を自給しようとしたからだ。農業とは水を食う産業だよ」と。
国境の向こう側の中国領、内モンゴルでは農業化で、国土の砂漠化が急速に進行し、村が棄てられている??と聞いた。戸外に出る。夜空は限りなく澄んでいた。三六〇度視界の効く、“天然のプラネタリウム”であった。星がべったりと空に張りついている。中天にカシオペア。その右に北斗七星。先端のひしゃく状の星座を七倍に延ばすと、北極星がダイダイ色に輝いていた。星が走っている。「アッ、すごい流れ星……」とつぶやいたら「あれは人工衛星です」と笑われた。私の人工衛星とのはじめてのご対面だったのである。
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