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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 建前と本音?人生の補強 裏表あってこそ…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 158  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/07/07  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私たち日本人は純粋が好きである。裏を考えたり、不純に期待したり、相手を疑ったりすることを嫌う。
 言い訳がましくなるけれど、私も本質的にはそうだった。しかし日本人以外の人たちと接しているうちに、それだけでは相手に失礼になるか、相手を全く理解できないことがわかって来た。その結果、裏を考えたり、不純を期待したり、疑ったりすることが、一種の知的操作として私の楽しみになって来た。
 先日、イランへ行って来たのをきっかけに、私はイスラムの本をまた読むようになった。何しろほとんど知らない世界なので、何にでも感心している。
 日本人は戦争は悪、それを嫌うのも当然と思う。私もそれにはほぼ百パーセント同感だ。子供の時に戦争を体験したので、激しい空襲の夜に、何でもいいから多分明日まで生きていられるという「仮保証」のある日はいつ来るのだろうと思った。戦争はほんとうにうんざりであった。
 しかしイスラム教徒にとって戦争、つまりもっと厳密に言えば、イスラムのための戦いはジハード(聖戦)と言って一つの義務なのである。ことにサダム・フセインの属するスンニー派のイスラム教徒にとっては、条件付きの義務なのだという。湾岸戦争の時、サダム・フセインの言いなりになっていたイラク人の心理を多くの日本人はわからないと言ったが、それは私たちが、同感するのではなくても彼らの心情を少なくとも理解しようとする心構えもなかったからである。
 E・E・カルヴァレイは『イスラムの世界』の中で、次のように補足する。「(ジハードは)最初期の分派のカーリジュ派にとっては確定的義務です。理論的にはジハードは一般的義務であります。それはイスラム共同社会の特定の数の人々によって遂行されれば、十分に果たされたことになります。しかし全世界がイスラムになるまでは義務的です」
 イランは約六千万人の人口に、約二百万人の難民を受け入れている。世界でもっとも多い難民の受け入れ国である。人口の比率で言って、日本が四百万人の難民を受け入れることができるかどうか。
 ただし、これにもいささか陰の部分がある。難民はクルドとアフガンで、つまりイランの西と東の国から流れ込んでいる。
 そのうちアフガン難民の多くは、町の中で、つまり難民キャンプという形を作らずにイランの普通の生活の中に溶け込んで暮らしている。彼らを保護することが、イランの負担となっていることも事実だ。しかし同時に彼らが、イランで安い労働力を提供していることも一部の事実なのである。
 人間社会のことは、決して単純ではない。建前と本音があって当然だ。人の言葉には裏もあり、裏の裏もある。裏があるから、人生は補強されるのだ。裏がなかったらすぐ破れるだろう。建前を言うのはいいのだが、本音を自覚しない時もすぐ破れるような気がする。
 



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