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身障者を中心としたグループで、イスラエルの死海に面したホテルに泊っていた時のことである。 夫が食堂で「あのウェイトレスの娘の顔を覚えといて」と囁いた。 それは実に色白の娘だった。背は平均より少し高いくらい。髪は亜麻色で直髪である。それを首の後ろでひっくくっている。確かめてみたわけではないが、ロシアから帰って来たユダヤ系の帰還者ではないかと思えた。こうした人々はもちろん経済的に楽ではないから、娘たちも大学になど行けない。家族を養うためにも働かねばならないのである。 と無責任な作家は小説に書きたいところだ。娘は苦労を背負っているように見えないでもなかったのである。 「あの人がどうしたの?」 私は夫に尋ねた。 「肌がきれいだろう?」 日本人はこういう時、マシュマローのような肌をしている、という。普段それほどマシュマローなど食べてないのに、である。 部屋に帰ってから、私はその理由を聞くことになった。 私たちのグループの中に、全盲のご主人とその奥さんが同伴で参加されている方があった。年代は大体私たち夫婦くらいであった。 その奥さんの方が、やはりこのちょっと侘しげなウェイトレスに目を留めて「何というきれいな肌でしょう」と言われたのだそうだ。日本の東北や北陸の女性の肌の美しさは世界一だと思っていたが、やはり上には上があるのだ。 しばらくすると、その奥さんは給仕に来たそのウェイトレスに何か言った。英語を話される方ではないから、堂々と日本語で語りかけられたのだろう。するとその言葉を理解するはずもないのに、ウェイトレスはちょっと頬を赤らめた。今どきの日本には、頬を赤らめる娘などいなくなってしまった。感動もないし、第一あのガングロ化粧では、顔を赤らめてもわからないだろう。 次の瞬間、その奥さんは盲人のご主人の手に自分の手を添えて、そのウェイトレスの頬にそっと触らせた。娘は恥ずかしがりながら、じっとするがままにさせていた。 旅の最中、この、眼の見えないご主人と手を組むことになったボランティアたちは、できる限りの説明をした。私の任務も「できの悪い実況中継」をすることだったが、どんな説明もこの夫人の心配りには叶わなかった。 夫人は娘さんに「あなたはほんとにきれいねえ」と日本語でいい、娘にはそれがわかったのだ。だから彼女は頬を染めた。 次に夫人は、盲目の夫に、この世にこんなにも清らかな頬の娘がけなげに働いていることを指先で確認させた。娘さんはこの夫婦の希望を受け入れた。旅の中でも、この頬の感触の思い出がご主人にとっては最高のものだったろう。セクハラなどという言葉が入る隙もない瞬間であった。
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