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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 核実験?ハンムラビ法典下のルール  
コラム名: 自分の顔相手の顔 150  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/06/09  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   インドとパキスタンの核実験について、日本人が忘れているように見える一つの原則がある。私は決してそれをいいことだ、と言って肯定しているのではない。しかし幾つか眼についた新聞の論説など読むと、いずれも立派過ぎて、極く普通の人間の心情としては、こういうものがあるのだということを忘れている。
 それは「目には目を、歯には歯を」というハンムラビ法典以来のルールである。この思想は今なお世界中の各地で、当然のこととして容認されているのである。
 戦前の日本の父親たちも、子供が友達にいじめられると「指をくわえてやられてるな。やられたらやり返して来い」と言う人の方が多かった。とは言っても程度は心得ていて、父親も子供もちゃんと「子供らしい程度に」ケンカすることを期待していた。
 ハンムラビ法典は紀元前十七世紀に出来たというが、決して復讐を奨励するものではなかったという。むしろ復讐がエスカレートするのを抑えるために「目をやられたら、相手の目をつぶすだけにして、決して両眼を傷めるとか、ついでに鼻まで削ぎ落とすようなことをしてはいけないよ」という同害復讐を命じたものだったらしい。
 インドが二発やったから、パキスタンも二発やった、ということだったとしたら、まさしくこれは同害復讐である。
 長い年月広範な土地で、そして今でも世界の至るところで、この思想は正義と思われて来たし、正義であると思われ続けているのである。パキスタンの首相が「もし日本が原爆を持っていたら、長崎・広島を防げたろうに」と言ったというのは、状況も知らず、現実的ではないが、世界中で多くの人々が、今でもそういう力学でものごとを感じている。それが彼らの属する社会では、当然の倫理なのである。それを念頭におかずに日本的な人権や正義が世界に通用すると思ってものを言うと、現実性のない高校生の理想論になって、誰も相手にしないだろう。
 困ったものだ。誰かが、この復讐の繰り返しのような情熱を絶たなければならない。キリスト教はそれをしようとしているのだが、その場合には、自分が死んで犠牲者になりっ放しになる場合も容認しなければならない。そこに正義と人権を言う限り必ず報復は続く。正義と平等と人権を押し通せばハンムラビ法典になるのである。報復をやめれば、ガンジーのように殺されることも覚悟しなければならない。
 今の日本人が期待するのは、お互いが喧嘩をしないことだ。金持ちは喧嘩しないで済むが(昔から「金持ち喧嘩せず」という適切な表現があった)、貧しい人は喧嘩をする。なぜなら、喧嘩によって乏しいもの(食料や仕事や水や金など)の帰属を決めねば、自分が生きて行けない場合が多いからだ。
 言葉の上だけの人道主義は危険思想になるか、力を持たないかどちらかなのである。
 



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