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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 近代化?感傷的同情論ではいけない  
コラム名: 自分の顔相手の顔 233  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/04/26  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私が働いている日本財団が、イスラエルの南部ネゲブ砂漠の中にあるベングリオン大学にもスカラシップの基金を設定しているので、その運用がうまくいっているかどうか、その後の様子を見たかったので、ベールシェバという町まで南下した。ここには砂漠に関する研究所があり、国際会議もよく行われると言う。
 丘の上の緑が次第に少くなるにつれて羊の群が見え始める。丘の上には無数に不規則な横の線が現れるが、それは長い年月、羊や山羊たちが草をはみながら歩いた獣道である。そしてやがて羊たちの所有者、ベドウィンと呼ばれる遊牧民たちのテントが現れる。
 昔は彼らのテントは、木もしげみもない丘の上で絵のようであった。テントは原則として黒山羊の皮で作られており、部分的にラクダの毛皮も使われている。新約聖書の中に、十三通のすばらしい手紙を残しているパウロも、回心前は、ユダヤ教の教師であると同時に、このテント作りを仕事にしていたといわれる。
 ところがこの遊牧民のテントに、ここ数年大きな変化が見え始めた。まず彼らのテントの傍に古いタンクローリーが置かれるようになったのである。古くから砂漠に住む人々は、水源まで水を汲みに行くことが女たちの大きな仕事だったのだが、働く機能をもはや失ったタンクローリーを一台おいておけば、イスラエル政府がそれに給水して廻るようになったのである。私は自分が水汲みに行くことなど真っ平だから、彼らのために喜んだものであった。
 次に遊牧民としてはやや不思議な光景が現れた。テントの傍に洗濯物がひるがえるようになったのである。砂漠では乾燥のために、洗濯をしたいという欲望があまり起らない。昔サハラ砂漠を縦断した時、私は五日間顔も洗わず歯も磨かず着替えもしなかったが、全く不快ではなかった。しかし遊牧民たちが洗濯をしたり、もしかするとシャワーを浴びたいと思うようになって当然だ。そして今年あたり黒山羊のテントはどんどん減り、醜悪なビニール建材のテントがそれに取って替り始めた。テレビ用のパラボラ・アンテナも設置され、(ということは彼らが発電機を持ち出したということだ)彼らの中には携帯電話を使う人さえ出るようになった。
 こういう変化を見て、日本人の中には遊牧民たちが開発によって自然を奪われたからだ、彼らは圧迫された人たちなのだ、という書き方をする人がいる。もちろん老人たちの中には、月と星の瞬きの中で眠った夜を懐しがる人もいるだろう。しかしやはり彼らもテレビを見たい。体を洗いたい。何より定住することで子供たちに教育を受けさせたい。
 すべて失うこともなく、すべてを得ることもない。しかし遊牧民もまた私たちの先祖と同じように、井戸で水を汲み、機を織り、どこまででも歩いて行く生活から、近代化の道を選んだのだ。そういう判断が欠落すると、感傷的な同情論だけで彼らを見ることになる。
 



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