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アメリカで近く再び金利を下げるという。購買力にかげりが見えて来たかららしい。 日本の景気の回復もあまりはかばかしくない、という。当り前という感じである。 ここ数年、景気がよかったというアメリカの庶民は、その間にたくさん物を買ったのだ。車も家も買い換えた。スーツもハンドバッグも、テレビもマイクロウエーブも、クリスマスの飾りも乳母車も新しいのにした。だから当分新しいものはいらない道理である。 日本でもバブル景気の時に、実にムダなものまで買いこんだ。健康器具、ビビンバのための石鍋、サイズが小さ過ぎるのだがバーゲンで安く売っていたので、今に痩せて着られるようにしてみせようと思うカーディガン、木型が全く合っていないのでは、と痛いのだが、デザインがすてきなので捨てられない靴、イタリアのブランド名に引かれて買った旅行カバン、お風呂の中で泡を立てる機械。 シンガポールの新聞を見ると驚くのは、携帯電話の広告ばかり多いことだ。この国には、あんなものしか売るものがないのか、という感じである。 その結果、家の中には携帯電話がごろごろしているようになった家がある。娘が何十枚というセーターやスカートを持っているのに驚いているお父さんもいた。しかし娘は鼻息が荒かった。「私が自分で稼いだお金で買ってるんだから煩いこと言わないでよ」というわけだ。 人は無限に物を買うわけには行かない。ことに日本では家が狭いから収納場所がない。それでこういう「買い魔」も、やむなく物を買い込むという行為を控えざるを得なくなる。しかし当分の間、買わなくったって何ということはないのだ。何しろセーターもスカートも、アフリカなら一生分ある。 買い溜めておくことができないものもある。食料と旅行だ。だから旅行には相変らず、かなり多くの人が出かける。 不景気は或る程度続けば、必らず好況に転じて来る、と私は思う。ストックが底を衝くのだ。もともとサイズの小さめのものを買ってしまったセーターは、当人が少しでも太れば、もうほとんど着られる可能性はなくなるから、数年経てば大きなサイズのものを買う他はない。 総じて人間は太って来ている。それなのに日本で売る衣料はどれもほんの少し布地をけちって小さ目に作っている。だからゆとりの心地よさも、カッティングの妙も表せない。それで私のような大きな女は、アメリカや、オーストラリアや、ドイツの衣類を買って着る。ほんとうは日本のものを買いたいのに、である。 購買力とはそんなものだろう、と私は思っている。一家の人口がふえればマンションも広いのが必要になる。「待てば海路の日和あり」ですよ、と言ったら、「そんな簡単なもんじゃありませんよ」と経済通にシカラレてしまった。
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