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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ヨットの学校  
コラム名: 私日記 連載25  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1997/09/21  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九九七年八月二十四日
 ひさしぶりでマレーシアのクアラルンプールヘ行く。
「十年前の知識でものを書くと狂うよ。すごい発展なんだから」
 と息子に警告されたため。
 外へ出る度に東南アジアでは中国語とマレー語の必要を痛感する。クアラルンプールでも、タクシーはほとんど英語を解さない。銀座四丁目の角から二軒目くらいの町中にあるホテルヘの入り方もわからず、一方交通に戸惑ってうろうろしている。
 正午、シンガポールから陳イワン儀文さん到着。彼女は純粋の、日本人だが、中国語は北京語と福健語と広東語の三種類、マレー語も話すから、早速彼女の語学力を借りて、タクシーをチャーターして市内見物。ホテルの近くのショッピング・センターにはいわゆる世界のブランドものの名店街が進出しているが、お客もいないし、すぐに経済的発展とは結びつくとは思えない。見つからなかったけれど、息子の話によれば、この近くにあるゲーム・センターの大きさと人の多さと騒音のすごさは、一見に価するそうだ。
 最後にタクシーの運転手さんが、政府がやっている物産館のような所へ連れて行ってくれたので、そこでパスケットとカフタン(寛衣)を買う。バスケット編みの技術はすばらしいものだし、いわゆるバティックのカフタンは私の日常着である。私がカフタンを着ていると故郷の女を思い出す、とインドネシア出身の友人が言うほどである。
 夜は、近くの水炊き屋さんで中国風のお鍋を食べる。店の人が、もうそれ以上、注文しない方がいいよ、食べ切れないから、とアドバイスしてくれるのが感じよい。日帰りでシンガポールに戻る儀文さんを見送ってから、ベッドでトム・クランシーを読む。
 八月二十七日
 夜行便で帰国。朱門は、怪我した足につっかけをはいて帰るところだったが、デパートで四千円の柔らかいバックスキンの靴を見つけて喜んでいる。
 私は家の中を片付け、思い切って蘭の花を捨てる。後一日くらいは見てあげられるのに、と少しかわいそう。シンガポールでは蘭は一本六十円くらいで買えるので、来る度に賛沢して五、六十本ずつ買う。花は鏡の前においた花瓶にいけるから、百本分以上に見える、という計算。
 お土産の中では田七人参が結構重い。これは血をさらさらにするという漢方薬で、肝臓病や高血圧に効く。三浦朱門は数年前、二年続いて寒い二月に高血圧になったが、田七を飲みだしてから全くそういう病状がなくなった。シンガポールで買うと一月分三百円くらい。日本で買うと九千円くらい。薬九層倍よりひどい暴利である。
 夜行便の中ではあまり眠れなかったが、一晩中映画を見たりうとうとしたり。眠れない時は、眠らなくていいということである。
 八月二十八日
 朝七時半、成田着。そのまま日本財団に出勤。職員には休息を取らせるために、帰国当日の出勤を禁じているのだが、私だけは例外にしてもらう。決裁、数十件。広告の件。九月十日からのラオス、十一月十三日からのアフリカ出張の件のうち合わせ。職員皆何ごともなかったようで、それだけでいい夏だったとホッとする。
 昼ご飯は職員食堂で、女子の新人職員三人とお喋り。うちは男女同権だから、女子でも労らない、アフリカの厳しい土地へだって出張させるつもりだ、と言うと「ぜひ早くやってください」と売り込みもある。いい空気である。
 八月三十一日
 一カ月ぶりの三浦半島。
 朝から沖ではヨットの学校。小さな白帆が沖に何十も一列に並んでいる。日曜で教会ヘミサに行くべきなのだが、昨日から熱っぽくてだるくて何をする気にもならない。風邪を引いたのだと思う。
 ミサはサボッてずっと北朝鮮の資料を読む。日本の外務省は、北が十人か二十人の日本人妻を帰すと言っていると言うが、北側は笹川陽平理事長に「少なくとも百人は帰せ、とあなたに言われたから、できるだけたくさん帰すように今努力しています」と言っている。話が大分違う。
 こういうイベントは、派手なほど効果的だ。あらゆる予想される結果も、日本側が心配することではない。外務省も今まで、国交を開くことには全く動いていなかったのだし、今度のことはうまく行く可能性があるだけで、失敗のしようがない。
 昼ごろ、ダイアナ元英国皇太子妃の事故死のニュース。
 社会的には、難民や病人や孤児に優しかった。家族の人々には、どういう妻であり、母であったかは誰にもわからないが……。夜のラジオのニュースで、橋本総理の「サミットでお目にかかったことがある。お悔やみを申しあげる」という世にも情けない弔意が発表される。これほどつまらない、内容も心もこもらない弔文を作るのは、勇気がいるものだ。こういうへたくそな文章の下書きをした役人は、外交の足を引っ張っているのと同じだから、一刻も早くやめてほしい。
 しかしこれで、ベンツは事故を起こしても死亡事故には至らないという神話は崩れた。
 



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