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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 内面と外面?努力家の陥る不幸は…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 51  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/05/26  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   内面(うちづら)と外面(そとづら)というものがある。外面のいい人に限って、内面が悪いというケースが多くて、家族は辛い思いをする。
 内面の悪い理由は、会社や役所では自分はこんなに努めているのだから、家にいる時くらい、努力するのをやめたい。そして家族も自分の苦労に報いるために、サービスするのが当然だと考えるからである。
 この心理は自己中心的だという点で、かなり女性的である。内面の悪い人は、つまりほんとうはそれだけの力量がないのである。家にいる時くたびれてぶっちょう面をしたくなるほど努めなければ、会社で頭角を表せないのなら、それはその人の力量がそれほどない、という証拠なのだ。人はすべての仕事を、かなり楽々とやれるのでなければ、ほんものではない。
 努力家という人は、ほんとうは困った存在なのである。怠け者を自覚している人は、自分にも他人にも会社にも社会にも負い目があるから、決して威張らない。その結果、自分の本質と評判がかなり一致する。
 しかし努力家は、自分は正当なこと、立派なことをしていると思い込んでいるから、他人が自分に感謝と称賛を送ることを、必ず心の中で要求している。
 ところが社会というものは、基本的に人のことは正当に評価しないものなのだ。だから努力したってそれをわかってくれる人は少ないし、怠けていたって、その人の力量に大体近いくらいには評価してくれるものなのである。
 怠け者は、実際と評判の落差を気にしない。というより大体同じくらいだと認めているから、いつも心理的に余裕がある。しかし努力家は、絶えず人の目を意識している。つまり見栄っ張りの傾向に傾く。しかし世間の評判は多分常に彼の期待以下にしか見ないから、彼はいつも不幸で、その結果、彼の性格まで幼稚に見えて損をする。
 世間が自分をどう評価するか、ということが気になってならない人というのは、やはり本質的に自信がないのだ。と同時に、自分の才能が世間から過大評価されているのではないか、ということを薄々感じて怯えてもいる。いや、意識的にはそんなコンプレックスは感じていなくても、意識下で感じているという方がさらに正しいだろう。
 不幸な家庭の一つの原因は、この内面の悪い夫と暮らすことの重荷に起因する。聖書は、愛とは非礼をしないことだ、と教えている。これは画期的な定義で、家でぶっちょう面をするという無礼は、つまり家族に愛がないからだ、と言っているのである。
 家庭では、外にいる時より努力して、明るく優しく振る舞うべきなのだ。今までの日本人は、外でよく努めなさいと教えたが、家族が最も大切だから、家族に対しては社会に対してよりもっと努めなさいとは言わなかった。大きな教育の間違いだったのである。
 



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