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イスラエルのエルサレムでは、私たち障害者とボランティアの混成旅行団は毎年同じホテルに泊る。 そのホテルの或る階には小さな店が並んでいて、そのうちの一軒は、世界的に有名な宝石屋である。私は毎年そこで買い物をする。 とは言っても宝石ではない。店は二つに別れていて、半分は本当の貴金属。残りの半分が民芸的アクセサリー屋である。そこに私の好きな作家もののイヤリングやブローチがある。銀製品というものは気分のいいもので、大切に使えば長く品よく使えるし、値段は決して安くないけれど、落とすと気落ちするほどの高額でもない。 何よりすばらしいのは、ユダヤ人の中にある金工の伝統で、銀細工にしてもどれほど軽く作れるかが技術である。私は大柄なので、アクセサリーも大ぶりなものしか似合わない。大きなアクセサリーを、どれだけ軽く作れるかは、なまなかな技術ではない。 そこに一人のマニッシュな魅力の売場主任の中年女性がいる。髪を短く刈り、いつ会っても痩せていて、手の甲にもしみがあるが、老眼鏡を首にチェインできりっとかけて「仕事をする女」の色気を漂わせている。 私の買い物は早いから、すぐ決めて彼女の机でお金を払おうとすると、彼女は老眼鏡の下から上眼遣いに私を見上げながら言った。 「あなたは去年も来たわね。ご主人と来て、ご主人がクレジット・カードで払ったわ」 それから彼女は夫が使ったというカード会社の名前を上げてみせたが、それは大手の一つだから、当てずっぽうにしても当りやすいものである。あなたを覚えている、という言い方も、こうした商売をやる人や政治家にとっては有効な手段だろう、とは思ったが、私は答えた。 「あなたは、すばらしい記憶力を持っていらっしゃるのね」 「そうね」 彼女はそこで一瞬、伝票を作る手を止めた。 「覚えていることの中には、いやなものも多いけどね。あなたはそう思わない?」 強烈な不幸に充分に傷つき、それを執拗に記憶して、年月の光に当てるのが作家の仕事である。その時不幸はもう生(なま)ではなくなり、そこに発酵が行われている。 しかしその時私が感じたのは、私が彼女の記憶の中で「いやなもの」の中に入っていないらしくてよかった、という安堵感だけであった。責任の範囲でなら、私は憎まれることにも意味があると思える。しかしその場だけの関係なら憎まれない方がいい。 外国では時々こういうおもしろい会話にぶつかる。店の人とお客という関係を超えて、彼女が「人間」として近づいて来たからなのだ。しかし人間が前面に出た瞬間から、事務は非能率になる。 それにしても日本では、こういう会話を体験したことがないのは淋しい。
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