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両国間のパイプ役 朱鎔基副首相に前回お会いしたのは昨年の九月ですから、今回は十三カ月ぶりでした。昨年、お会いしたときはやや疲れ気味の様子でしたが、十月お会いした際は、ちょっと太られたのか、頬(ほお)がふっくらとし健康そのものでした。 世上、朱鎔基さんについては、濠腕かつ切れ味鋭い剃刀のような経済テクノクラートとの人物評がもっぱらです。が、これまでの私の印象は、繊細にして豪放、構えるところのない気さくな人物というものでした。しかし、今回は印象が違いました。首相就任を目前にしているからでしょうか、一種の硬さを感じました。先に触れた「年齢」へのコメントに続いて飛び出したのが「世代論」でした。「日本の古い世代は明確な使命感を持っていた。日中友好の懸け橋として活躍された岡崎嘉平太さん、稲山嘉寛さんらは歴史に対する使命感を持っておられた。若い世代にはこれがない。そのためにギクシャクした問題が起こる」と慨嘆に近い言い方でした。中国に「桑を指して槐を罵(ののし)る」との諺があります。物申したい人物に直接言わず、第三者に物言いを付けることで、間接的に物言いを付けることを意味します。文化大革命当時、江青夫人ら四人組が孔子批判を展開、真の狙いは周恩来首相批判にあったことはよく知られています。 この「世代論」は日本よりは国内を意識していると感じました。最近、中国の若い世代のなかにも、日中両国間での個人ベースのパイプ役不要論があります。国交正常化二十五年、国、組織がドライに話し合っていけばよいというものです。私には、朱鎔基さんの「世代論」に、こうした中国の若い世代への戒めを感じました。私は常々、日中間のパイプ役の欠如を懸念してきました。両国関係にさほどの難問が存在しない場合は、政府間ベースや組織ベースの付き合いで事足ります。通常べースの話し合いで解決できない問題が発生したときが心配なのです。 今回の訪中のおり、ある中国政府要人が私に「廖承志さん、孫平化さんといった日本とのパイプ役が勤まる大所高所から物事を判断できる人物がいなくなった。李登輝という日本通を持つ台湾がうらやましい」と嘆いていました。この要人の言葉と朱鎔基さんの「世代論」発言を重ねると、日中関係でのパイプ役不在が浮かび上がってくるように思います。 中国要人は日本との関係を語る際、「合即両利、離即両傷」との文言をよく使います。言い争っていても益はありません。酸いも甘いも知り尽くした「大人」のパイプ役を双方ともに必要としているのです。
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