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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 銀行の名前?実務世界での幸福は嘘臭い  
コラム名: 自分の顔相手の顔 242  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/06/01  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   人の名前というものは、他人の場合は大切に扱うべきだが、自分のはいい加減でいい、というのが私の実感である。「ソノさんのソは、曾ですか、曽ですか」と聞かれると、私は正直言って返事に困る。ペンネームなのだから、私が私である、と判別してくれる範囲なら、どちらでもいいのである。
 発音も大変だ、私は訛りが好きだから、どんなアクセントで呼ばれてもほとんど気にならない。遠藤周作さんは大阪育ちだから「ソーノさん」と発音された。
 しかし最近廃業になるという銀行が、「幸福銀行」という名前だと知った時にはほんとうに驚いた。この名前だけでも倒産する理由になるな、という気がした。
 実はそんな名前の銀行があるとは、私は知らなかったのである。私は日本財団というところで働いているおかげで、今までほとんど関係のなかった銀行業務を少しは手掛けることになったのだが、今まで切った小切手の中にも「幸福銀行」はなかった。
 別に財閥の名や地名がついた銀行だけしか信じないというわけではない。しかしもし私のところに廻って来る小切手の中に「幸福銀行」という名前があったら、私はもしかすると思わず「これはほんとうに実在する銀行ですか。こういう銀行はやめた方がいいのではないですか?」と口走ったかもしれない。
 理由ははっきりしている。名前がうわついていて、虚偽的だからである。金融は堅実でなければならない。金融は夢を描いてはいけない。すべての金に関する業務は、幸福とはさだかな関係にない。ほとんど無関係と言ってもいいくらいである。
 もちろん中には当たりくじの賞金を「幸福銀行」に貯金した人もいるだろう。その幸運は、幸福感をもたらしはするだろうが、世の中の多くの幸福は、皮肉にも銀行の建物の中にはない。
 銀行という組織には、石橋叩いてやっと渡る慎重さが必要だろう。もし作家が小説の中で「幸福銀行」という架空の銀行を作ったとしたら、読者はその小説の作者は金融も経済もよく知らないで、お手軽な筋立てをしたものだ、と思うだろう。せめて名前だけでも、もう少し現実性のあるものにすればいいのに、と感じる人も多いだろうと思う。
 幸福という言葉は、実務を伴わない精神的な世界でなら、それなりの場を占めることが可能だが、数字が結果となって現れる実務世界では、むしろ無責任で、うわついた、嘘臭いものを感じさせるのである。それはなぜかと言うと、幸福というものは安定性に欠け、しばしば主観的で、その当人以外に実利を生まないからだ、とも言える。
 銀行名にまで「幸福」をうたいたくなったバブルの時代のハイな気分こそ、むしろ病的なのであって、銀行がそれに気づかなかったのも、そんな名前の銀行に平気で金を預けた市民も、共に舞い上がっていたのだろう。
 



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