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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 自分に許す?怠け癖の手抜き上手な食いしん坊  
コラム名: 自分の顔相手の顔 296  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/12/20  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   思索的な生活をしている人が、私と友達の話を聞いていて呆れたように言った。
 「あなたたちは、朝ご飯を食べ終わらないうちから、もう昼ご飯の話をしてるのね。よくそんなことが考えられるわね」
 すると食通の私の友達が言い返す。
 「あら、私なんか朝ご飯食べたすぐ後で、その日の昼と夜と、翌日の朝、昼、夜のご飯のこと考えてるわよ」
 少し冗談で誇張はあるにしても、そこのうちは一家揃っておいしいもの好きである。私はと言えば、この年になってから、急に料理をするのが好きになったので、いっそう食いしんぼうに拍車がかかった。しかしそれは別に料理がうまくなったということではない。ただ作るのが早くなっただけだ。
 早くなったということは、明らかに手抜きもしているということである。昔も今も、私は何かあると「ああこれをしないで済ます法はないかなあ」とまず思う癖がある。この本質的な怠け癖に加えて年のせいで、すべてのことを楽にやりたい、という情熱に取りつかれるようになった。だから台所を、やたらと片づける。ただただ、探しものをするのが嫌さに整理をするのである。
 だが、小説と料理があると、一生退屈しないで済むな、という気はしている。前にも書いたと思うけれど、老人料理というものを考えるのも、なかなかおもしろいのである。
 独り者の老人が、簡単で、短時間ででき、栄養が偏らず、胃が悪かったり、歯が抜けてしまったり、手があまりよく利かない、というような状況になった時でも、どうやら毎日変化をつけて、自分の手料理を食べられる方法を考えるのである。
 その基本的テーマも「うまい手抜き」ということだ。ほんとうの料理というものが、手を抜かないことにあるとすれば、全く恥ずかしいのだが、どうにか自分だけを生かしていけるということが、老年には偉大な意味を持つようになるのだから、それでいいのだ。
 そんな話をしていたら、また別の友人が真面目な顔でおもしろいことを言った。
 「でもいつでも次の食事に何を食べようか考えているような人には、あんまりボケた人がいませんね」
 そう言われれぱそんな気もするが、そんな風に言い切っていいのかどうか。ただ老人ホームなどで時々、年や健康の割には元気のない人がいるのは、自分の食べ物は自分で作らねば生きて行けない、という動物的生活の基本を免除されているからかもしれない。
 何とかしておいしいものを食べよう、そのためには材料を買いに行こう、自分好みの味付けを創出しようという執着は、やはり一種の明瞭な前向きの姿勢なのだから、それは老化防止にはなるのかもしれない。食欲も物欲もなくなったら終わりだから、いささかのむだや愚かさは覚悟の上で自分に許した方がいい、と考えることにしている。
 



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