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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 「先生よばわり」も困るけれど  
コラム名: 自分の顔相手の顔 330  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/04/26  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   若い時は、何事によらず筋を通そうとしたものだったが、このごろ時々めんどうくさくなって放置することがある。たとえば、私はその人当人ではないのだから道義的に責任を取るわけにいかないこと、や、よく読めばそう書いていないことに対していきり立つ人が時々いるが、一々反論するのは無駄な時間だと思うようになった。
 放置している中で、しかし長年ほんとうに困っていることもある。呼称の問題、ことに「先生」という呼び名についてである。
 私は日本財団で働くことになった時、お互いが肩書をつけて呼ぶことを止めて、私に対しては、皆が「ソノさん」と呼ぶようにしようと思った。若い職員同士は、「太郎」という具合に呼びつけにする癖をつけた方がいい。しかしこればかりは猛反対に遇って結果的に実行不可能だった。
 私はカトリックの学校で英米人の修道女の教育を受けたので、当時は友達を「ハナコ」「ミナコ」などと敬称なしで呼び合う癖があった。だから同窓だった国連難民高等弁務官の緒方貞子さんのことを、私たちは「サダ」と呼んでいた。しかし日本語が英語と違っておもしろいのは、その後が少し違ったのだ。「さっきサダがいらしたのよ」などと上級生に対してはちゃんと敬語を使っていた。
 昔は何でも「奥さま」だった。奥さまは奥方から来たのだろうが、奥方は、建物の奥に住んでいてめったに外出しない深窓の人のことだ。しかし今の世間の奥さまは、始終外出ばかりしている。私も仕事をしているから「家内」ではなく「家外」である。奥さまと呼ばれる資格はない。
 身近な人に自分を「先生」などと呼ばせて放置しているのは、いつ呼称の改変を言い出したらいいかわからないからである。その上、それに代わる適当な言葉を、私は見つけたつもりでも多分現場が反対するのだ。
 放置すると病気が出たり、ものが破壊されたりするのなら、断じて制度改革に手をつけなければならない。しかしそうでないことなら、めんどうくさいからとにかく今日のところはほっておこうか、と思うのである。
 実は「先生」という言葉には、最近では大した意味がなくなって、無色透明になりつつある。つまりやや目上、年上の人に対する「あなた」の代わりである、と言って差し支えないだろう。「先生」と言ったからといって特別に尊敬しているわけでもない。この呼び方の水平化、民主化、無力化に力があったのは国会議員の先生方であった、と皮肉を言う人もいる。
 私の周辺の「先生よばわり」も困るけれど、総てのマスコミの呼称もおかしなものである。元組員、元幹部、容疑者、受刑者、前社長、元社長など、とにかく名前の下に何か肩書をつけないと、どうしても落ちつかないらしい。無職の人が一番マスコミ泣かせである。日本のマスコミは、実は誰よりも形式主義、肩書好き、に見える。
 



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