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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 老ワルガキ  
コラム名: 昼寝するお化け 第214回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2000/11/03  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   ひがみっぽい人間なんて、どうしようもない、と私は昔から否定的であった。殊に年を取ってひがんでみたところでどうなる。おおらかに加齢を受け入れて行けばいいのに、と今でも思っているが、最近私の周囲の老人たちが、あまりにも闊達な老ワルガキになって来たのを見ると、ひがみ方にも年季が入るということは悪くないものだなあ、と思うようになった。
 某私大の某教授は、定年の頃になって、極めて鋭く、ますます楽しげに明晰に、言いたい放題になって来た。知っていることも知らないふりをする遊戯をちゃんとご存じなのである。
 大体、知らないことを知っているふりをする人は多いが、知っていることを知らない顔をするのは、達人の領域である。
 或る時、この方といっしょに茶席に通されて、「きれいな模様のついた茶碗」と「わびさび風の茶碗」が取り混ぜて出されたことがある。教授はわざと感心して眺めながら、
「お嬢さん、どっちが値段が高いの?」
 などと白々しく聞くのである。茶席では、茶碗の値段のことなど俗事は言わないことになっているのが常識だろうから、聞かれたお嬢さんは困って、
「同じように高価なものと伺っております」
 などと答えている。すると、この方は、
「この薄汚い茶碗と、このきれいな茶碗が同じ値段? そんなことあるかなあ。同じ値段だったら、ボクはこのきれいな方がいいなあ」
 などととぼけている。すると私も、
「うちの猫だって、きれいなお皿でミルク飲んでます」
 などと悪のりするのである。
 うちの老猫は、カップが割れたので受け皿だけ残ったイギリス陶器で一時ミルクを飲んでいたことはあるのだが、今はそれさえ取り上げられて、カマボコが入っていたプラスチックの入れ物が使われている。その方がミルクを辺りに撒き散らす率が少ないことがわかったからである。
 もう一人の老ワルガキは私の夫だが、若者に相手にされない話が大好きである。
「このごろは、シブヤの駅前で、ボクになんかティッシュもくれないんだよ、この年になると」
 と言いながら、顔は嬉しそうに笑いで崩れている。
「それでボク、わざと手を出してやったの。するといやいやくれた。くれないわけだよ」
「何の広告だったの?」
 と私は尋ねた。
「輝いたアナタをもっと輝かせて……夜のお勤めの広告」
 なるほど、むさいおじいさんになどくれるわけがない。
「それで次の場所に立ってる男もくれないから、わざと手を出した」
 こうなると、嫌がらせが楽しみになっているのである。
「そっちは何だったの?」
「これはショックだったの」
「どういう点で相手にしてもらえなかったの?」
「金貸しよ。金融」
「あなたの年になると、いつ死ぬかもしれないから、お金なんか貸してくれるわけないじゃないの」
「ボク、一番いらないのが金貸しだから」
 夫は十年ほど前から、けちが趣味になった。人にまでけちなのではないのだが、こと自分のことになると徹底してけちなのである。まず電車賃を惜しんで、うちからシブヤ駅まで歩くようになった。これで百九十円が浮くのである。
 その頃、我が家は株主優待のパスを目的に私鉄の株を買っていたので、間もなくそれが来るようになった。そのパスを使えばシブヤまでは一応現金を出さずに電車に乗れるのである。そこで彼は愚かしくもハムレットのように悩むようになった。
 パスは使わないと損だ。しかし運動不足は身体に悪い。シブヤまで直線距離では七キロ、実際には十キロ近く歩くことになるのだが、今の夫には十キロ歩くことなんか、ものの数でもない。女房や友達がつまらない計算をして、「歩いたら却ってソンですよ。ズボンのすそと靴の底が減るのは、どう考えてるんです?」などと言うが、運動の快感には替え難い。
 夫は読書や執筆の片手間に、冷蔵庫の中身をよく覚えるのを趣味とするようになった。これは一種のコンピューター機能と同じで、どんなものが、どれだけ、冷蔵庫のどの辺に残っていたかを記憶するのは、けっこう頭を使うことである。少なくとも、こんなくだらないことに頭を使っていると、ぼけてもいられないという感じになる。
「ボタ(うちの飼猫)奴の朝飯用の鶏肉は、まだ一本残っていたはずだ」
 などと言う。
「残ったのは結構古いから、料理してやらなきゃ」
 と私は毎朝しぶしぶ猫の餌を料理する。マーケットの安いところを探しては買っておいた一番まずそうな鶏肉のささみを、さっとあぶるか、熱湯を掛けて山葵抜きの「とりわさ」風にして小さく切ってやる。我が家の猫はもう二十三歳半という古狸、いや古猫なのに、まだ匂いと舌の感覚は少しも衰えていない。少し古い肉は冷蔵庫の匂いがついているので、こうして調理しないとそっぽを向いて食べない。すると私たちが猫のお余りを唐揚げにして食べる破目になるから、私は老猫をだますのに調理に手を掛けるのである。
「今日は阿川弘之に会ったから『あんた、ボケないには家事をするといいよ』と言ってやった」
「そしたら?」
「『はい、いたします、いたします』と言った。返事のいい時には決してやらないもんだ」
 私は私でまたヒガムことがある。勤めている日本財団が、中央アフリカに多い、ブルーリ・アルサーという悲惨な皮膚病の研究と治療にお金を出すようになった。子供が多く冒され、皮膚が腐って赤剥けになってしまう。その後の植皮の治療に画期的な方法が開発されたので、治療用の皮膚がいるという話が出た。しかし今の社会情勢では、当人の許可を受けてエイズの検査をしないと、健康人の皮膚の一部も使えない。
「じゃ、私のツラの皮でも」
 とは言わなかったが、それだとずいぶん厚くて丈夫でいいのではないかと一瞬思ったから、すぐ提供を申し出た。エイズ検査もどうぞ、どうぞである。ところが年齢制限がある。使うのは若い人の皮膚がいいというのである。
 ヒガミ方にもいろいろおもしろい表現があるのだ。老ワルガキたちはなかなか味なヒガミ方を開発している。
 



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